2018年10月21日日曜日

教育勅語の議論

安倍内閣で文科省の大臣となった柴山昌彦氏の就任会見に、共産党の宮本岳志衆院議員が噛みつきました。

柴山大臣が「教育勅語については、それが現代風に解釈をされたり、あるいはアレンジをした形でですね、今の例えば道徳等(とう)に使うことができる分野というのは、私は十分にあるという意味では普遍性を持っている部分が見て取れるのではないかと思います」と述べたかららしい。

この発言は、NHKの記者が仕掛けた「教育勅語について、過去の文科大臣は、中身は至極まっとうなことが書かれているといった発言をされているわけですけれども、大臣も同様のお考えなのでしょうか」という質問に答える形で述べたものです。

そして共産党の宮本岳志衆院議員が、自身のフェイスブックに「またバカが文部科学大臣になった。教育勅語を研究もせずに教育勅語を語るな!」などと書き込みました。

柴山大臣は、現代風にアレンジすると言う点を具体的に「同胞を大切にするとか、国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容について、現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する」とも述べております。

教育勅語については、昨年「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されていない」と言うことが閣議決定されています。

しかしこのNHKの記者の質問と柴山大臣の回答について、朝日新聞は「教育勅語発言 柴山文科相の見識疑う」などという見出しの記事を書きました。
毎日新聞は柴山大臣の発言を「時代錯誤」と断じているそうです。そしていかにも「教育勅語復活を策すトンでもない大臣が現れた」と言う意味を読者に与えるような記事にしているとか。
もちろん安倍政権を潰す意図で書かれたものでしょう。

ジャーナリストの門田隆将氏は、この朝日新聞のやり方を「『ストローマン手法』と呼ばれる、いつもの新聞のやり方だ」と断じております。
ストローマンとは藁人形のこと。相手の発言意図を捻じ曲げたり、一部を切り取ったりして発言者の本意を伝えず、自分の主張に合わせてしまうやり方で、世論を誘導しようとするジャーナリズムの手口だそうです。

門田氏は、岩屋毅防衛相に対しても「先の戦争について、侵略戦争と考えますか、考えませんか。大臣の言葉で聞かせてください」などと繰り返し質問していたと言います。
岩屋毅防衛相は、「安倍晋三首相の戦後70年談話と同じである」と繰り返し、この挑発的質問を抑えたそうですが、もし違う答えを引き出せば、いつもの「ご注進ジャーナリズム」が動き出しただろうと述べております。
「ご注進」とは中共、韓国を巻き込んで「侵略を否定する防衛大臣」などと騒ぎ立て、安倍内閣打倒を叫ぶための「ご注進」です。

産経の論説委員・阿比留瑠比氏は、共産党の「(道徳は)さまざまなことを経験し学習することによって、自主的判断で選び、形成していくもの」という主張をして小中学校における道徳の教科化に反対していると話します。
そしてこのような道徳観で形成されたらしい共産党議員の今日の言動をみると、「より教育勅語の精神や道徳の教科化が重要だと思えてくる。」と皮肉っております。

もともと日本の教育は、武家や豪商で行われていた「家訓」から派生し、明治になって中央集権を実現し富国強兵を行うために統一した見解として明治15年(1882年)に作られた「軍人勅諭」から始まったわけです。

時代は欧州列強が産業革命を経て実現した強力な武器でアジア各国を植民地化していた時代、国軍の近代化が急務だったことから、「天皇陛下」を核とした国軍の成立を目指したわけです。
そしてその軍人の心構えを勅諭という形で陛下から下賜されたものが「軍人勅諭」でした。

そして民主化が始まり、「一般国民も教育が必要」とする考えから明治23年(1890年)に教育勅語が陛下より全国民に下賜されたものです。
教育はもはや武家とか公家、豪商だけでなく一般国民にこそ必要なものという考えが浸透し始めた時代でした。

これより前の明治5年に、福沢諭吉は「学問のすすめ」を書いておりますから、教育勅語は学問というよりも日本人の道徳育成に必要なことをまとめたものだと思います。
おそらく欧米列強を軍事技術が強いだけの野蛮人と見たからこそ、教育勅語が作成されたのではないでしょうか。(「和魂洋才」も同じような意識が働いたのでしょうね)

大東亜戦争に負けた我が国。一気にアメリカ型自由主義が流れ込み、教育界は過去を否定しアメリカ型自由民主主義に置き換えられました。
つまり「野蛮」が蔓延り始めたわけです。それでも日本国民は日本文化を守り我が国の価値観を駆使して欧米を凌ぐ技術大国にのし上がったのです。軍人勅諭と教育勅語がアメリカ型社会を抑制したからだとも考えられないでしょうか。

その抑制も次代と共に消滅し、やがて肉親殺し、弱い者いじめや強欲といった「野蛮」が噴出してきたのです。
「教育勅語」の見直しはこのような現在の日本社会に蔓延る「野蛮」を見て始まったのではないかと考えます。

もう、共産党の主張こそ「古い日本の間違った考え方」に堕ちているのではないでしょうか。

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