2010年11月28日日曜日

読む気になれないKAN-FULLメール

首相官邸から送り出すカンフルメール。その案内がメールで届きました。
支持率低下に悩む菅政権が、思い出したように打ち出すメールでの支持の呼びかけでしょうけど、もはや「何を今更」という気持ちにしかなれません。鳩山政権の時もメールが着ていましたから、時々読んでいました。しかし自民党時代に比べてあまり読んでも面白くありませんでした。

その理由は基本的に「国家観の無さ」にあるように思います。
自民党は綱領がありました。ですから打たれる政策が、なにを目的にしているのかが少しは判ったのです。
もっともそれが国会でうまく運ばれることもなく、自民党の内部からの批判とか野党の反対とかマスコミの中傷などで消えていきましたけど。
その政策に賛成か反対かを考えることも出来ました。サヨクに左右される末期の自民党。麻生政権の時のいくつかの裏切りについても、それが国会運営という現実の前で苦悩した結果であろうと、勝手に思うことも出来ました。
経済政策などにはそれほど失点はなかったようですしね。

しかし、鳩山政権になってからは具体策がなかったように思います。ともかく混乱をきたした政権ではあっても、何も政治的仕事はしていなかったようですね。
菅政権では何か具体的にやろうとしているようですが、出来ない。そしてその原因が「国家観の欠落」にあるということが見えて来ます。
市民活動家から政界に入った政治家ですから、「生活第一」というスローガンに対しては小沢一郎氏よりも洗練されいるかも知れません。
しかし背景に国家観がないと、何か行っても、なにをしているのか見えないのです。

北朝鮮が韓国を砲撃しました。日本は周辺国ですから当然緊張が走ります。内閣として手が打たれます。今回の菅政権はそれをやりきったようでした。
しかしまったくそれが見えてこない。閣僚の態度のまずさもありますし、リーダーシップの欠如ということもあるでしょう。
仙谷官房長官とか前原外務大臣の方がマスコミに取り上げられ、首相の影が薄くされてしまいました。
ちょっと菅首相には気の毒ですが、首相のスタンスが取れない首相という感じがします。そしてその原因が「国家観の欠落」。

自民党の政治家が靖国神社に参拝します。そしてその時に言う台詞が「国家の為に命を捧げた英霊に敬意を表し、感謝の誠を捧げるのは当然のこと」であることはご承知のとおり。
その意味が解って言っているのかどうかはわかりませんが、こう言うとその政治家に「国家観」があるように見えるものです。
市民という言葉、そして世界市民などという言葉は「妄想平和」を標榜しているようですが、しかしこの言葉には国家意識を捨てさせる意図もあるようです。
すなわち国家がなくなれば世界から戦争が無くなり平和になるという、きわめて残朴な発想です。
国家がなくなれば確かに国家間の戦争は無くなるかも知れません。しかし暴力が今以上にはびこることは間違いないでしょう。それを取り締まる権力が喪失しているからです。人間社会は常に暴力の恐怖におびえる毎日となるだけです。現在の中共の地方社会のように。

民主主義の背後に国家観がなければ、安心して生活が出来る社会は作れないはずです。だから主権者は国民となっています。国民は政治の主権者であり、国家の最終的責任者ということ。
そして国家の政治的失敗の全責任を命で取らされるのも国民です。こういう時、おそらく市民とか庶民というものは、暴徒の群れとなって、むしろ混乱を助長するだけでしょう。
これは国民国家を、暴力と混乱に陥れ、社会を退化させるだけだと思います。

このようなことが解っているから、国民は市民活動家の政権を支持できないのでしょう。
菅政権、誕生してから半年未満。政権支持率の低下の根本的原因はそこにあるのではないでしょうか?
ですからKAN-FULLメールを読みたくないわけです。

0 件のコメント:

コメントを投稿