ボストンでの米経済学会年次総会において、ハーバード大教授で経済学者のグレッグ・マンキュー氏が述べた言葉です。
「R>G だからどうした?」という小論文も発表したそうです。
Rとは資本利益率であり、Gとは経済成長率のこと。
トマ・ピケティ氏が、その論文「21世紀の資本」で「資本利益率が経済成長率を上回ると、格差が広がる」と書きました。
この論文が本となって、いまや世界中のベストセラーとなっています。
どうやらこの論文がハーバード大学のマンキュー氏にはお気に召さないようで、この学会で司会役を務めながら、参加したトマ・ピケティ氏を揶揄したと言うことです。
さらにマンキュー氏は「ピケティ氏は金持ちが嫌いなのだ」とまで言ったそうです。
グレッグ・マンキュー教授はケインズ経済学を専門とする学者です。しかし「ニュー・ケインジアン」という立場だそうで、どちらかというと「新自由主義」に近いそうです。「ある程度の自由な資本主義は人類が得た大きな成果の一つだ」というのが彼の主張だそうです。
「米国は世界に冠たる格差社会」とはアメリカの経済学者・ジョセフ・E・スティグリッツ氏の言葉です。
「最新版の資本主義はニセモノの資本主義だ。利益が私物化されたにもかかわらず、損失は社会が受け皿となった。完全競争は、少なくとも理論上は利益はゼロになるはずだが、独占や寡占が持続的に高い利益を上げている。」とスティグリッツ氏は述べ、「アメリカを巨大な格差へと導いたのは、アメリカの政策であり、政治である。」とまで言っております。
さらにスティグリッツ氏は、「イデオロギーと利害が極めて悪辣に結びつき、労働者が受け取れるはずのお金が蒸発し、資産家たちの収益率を高く維持できる結果を生むようなルールを設計し、それをやってのけているのだ。」と述べております。
この矛盾をピケティ氏は論理的に数字で示しながら指摘し、「資本収益率が経済成長率を上回ると格差が広がる」と論じたのです。
ピケティ氏は、だからどうするべきだ・・と言うところまでは述べていません。
ピケティ氏の「21世紀の資本」が世界的ベストセラーになったのは、この「格差が広がる」ことを一般の人達が理解したと言うことでしょう。
新自由主義者はこれまで「トリクルダウン」と言う古い言い訳を使ってきました。トリクルダウンとは「金持ちがより金持ちになると、そこからお金がしたたり落ちて、それで全体が豊かになって行く」という理論です。しかし歴史的にはこんなことが起きた例はありませんし、起きるわけもありません。
お金持ちとは、企業を経営しているとか金利で食っている人達のことですが、ミクロ経済の範疇の人達です。つまり利益とか配当が多い方を好むという人達。
しかし、ピケティ氏の言うことはマクロ経済の視点から見た理論です。ジョン・メイナード・ケインズ氏もマクロ経済の視点から理論を出しました。
マクロ経済学とは、扱っている経済システムの中に、通貨発行機能があると言うことです。
金貨や銀貨、そして王様の借用書などは通貨ではありません。経済システムを運用するために通貨発行機能を効果的に使うことが出来るという・・経済学を論ずるわけです。
ミクロ経済学では、利益や配当が重視されます。利益が多く出れば豊かになり、配当が多ければ豊かになるわけです。しかしマクロ経済学では、利益や配当は経済システムの中の「富の偏在」としか見ません。
「富の偏在」は自由主義経済では自動的に起きてしまいます。それが小さな偏在で分散していれば良いわけで、それで通貨の流通は確保されます。(コロイド状の富の偏在)
しかし「偏在」が大きくなっていくと通貨の流通が阻害され始めます。大きな偏在がより大きくなり、小さな偏在が吸収されていきます。(ゲル化する富の偏在)
偏在が大きくなる切っ掛けを、ピケティ氏は「資本利益率が経済成長率(GDP)を上回った時」と論じたのでしょう。
しかし、なぜ資本利益率が経済成長率を上回るのか、そこまでの言及は無いようですね。
経済成長率を高く維持するには、社会に需要が多いことが必要です。しかし、社会の需要は次第にサチュレートしていきます。皆さんが「特に今、欲しいものはない」と言いだした時が需要低下の信号でしょう。
「欲しいのはお金」と言い出せば、マネーゲームが始まります。マネーゲームでは実体経済の力は付きません。
このような時、社会にとって必要なのはイノベーションです。何か新しい需要を喚起するような製品開発がなされれば良いのです。ところがマネーゲームなどが始まると配当金が要求され、開発費用が配当金に回ってしまってイノベーションが起きなくなることも考えられるのではないでしょうか。
また、イノベーションを起こさせるようなインフラ整備も必要でしょう。そしてインフラ整備は国が行わなければ誰も出来ません。(国はマクロ経済ですから)
例えば最近、電気自動車(EV)が販売されていますし、水素を使う燃料電池車も販売が始まりました。しかしこれらを使うには、あらゆるところに充電スポットが必要になり、GSに併設される水素ステーションが必要です。民間業者が入るためには先に需要が無ければ無理なのです。ですから国家事業として、先行してこれらのインフラを作るしかありません。
EVとか燃料電池車は企業が作れますが、それを使うために必要となる社会インフラは、最初は国がやるしかないでしょう。「膨大な借金」を作ってこれらを行えば、やがてEVなども需要が出るはずです。
このようにして、イノベーションを起こしていけば経済成長が高まり、投資も活性化されお金が動き始めます。(インフレによって膨大な借金は小さくなります)
この時の「国家の膨大な借金」こそ、通貨発行機能でなされるものです。富の偏在は経済成長(インフレーション)によって解消していくはずです。
このようにしないと、富の偏在が大きくなってデフレが深刻化し、やがて戦争によって上記の逆の負のイノベーションが起きるはずです。(そうしないとお金に金利が付けられなくなるのでね)
「格差があって何が悪い?」と言いますが、「戦争(紛争)になるから悪いのだ」と言うことが出来るのではないでしょうか?
Rとは資本利益率であり、Gとは経済成長率のこと。
トマ・ピケティ氏が、その論文「21世紀の資本」で「資本利益率が経済成長率を上回ると、格差が広がる」と書きました。
この論文が本となって、いまや世界中のベストセラーとなっています。
どうやらこの論文がハーバード大学のマンキュー氏にはお気に召さないようで、この学会で司会役を務めながら、参加したトマ・ピケティ氏を揶揄したと言うことです。
さらにマンキュー氏は「ピケティ氏は金持ちが嫌いなのだ」とまで言ったそうです。
グレッグ・マンキュー教授はケインズ経済学を専門とする学者です。しかし「ニュー・ケインジアン」という立場だそうで、どちらかというと「新自由主義」に近いそうです。「ある程度の自由な資本主義は人類が得た大きな成果の一つだ」というのが彼の主張だそうです。
「米国は世界に冠たる格差社会」とはアメリカの経済学者・ジョセフ・E・スティグリッツ氏の言葉です。
「最新版の資本主義はニセモノの資本主義だ。利益が私物化されたにもかかわらず、損失は社会が受け皿となった。完全競争は、少なくとも理論上は利益はゼロになるはずだが、独占や寡占が持続的に高い利益を上げている。」とスティグリッツ氏は述べ、「アメリカを巨大な格差へと導いたのは、アメリカの政策であり、政治である。」とまで言っております。
さらにスティグリッツ氏は、「イデオロギーと利害が極めて悪辣に結びつき、労働者が受け取れるはずのお金が蒸発し、資産家たちの収益率を高く維持できる結果を生むようなルールを設計し、それをやってのけているのだ。」と述べております。
この矛盾をピケティ氏は論理的に数字で示しながら指摘し、「資本収益率が経済成長率を上回ると格差が広がる」と論じたのです。
ピケティ氏は、だからどうするべきだ・・と言うところまでは述べていません。
ピケティ氏の「21世紀の資本」が世界的ベストセラーになったのは、この「格差が広がる」ことを一般の人達が理解したと言うことでしょう。
新自由主義者はこれまで「トリクルダウン」と言う古い言い訳を使ってきました。トリクルダウンとは「金持ちがより金持ちになると、そこからお金がしたたり落ちて、それで全体が豊かになって行く」という理論です。しかし歴史的にはこんなことが起きた例はありませんし、起きるわけもありません。
お金持ちとは、企業を経営しているとか金利で食っている人達のことですが、ミクロ経済の範疇の人達です。つまり利益とか配当が多い方を好むという人達。
しかし、ピケティ氏の言うことはマクロ経済の視点から見た理論です。ジョン・メイナード・ケインズ氏もマクロ経済の視点から理論を出しました。
マクロ経済学とは、扱っている経済システムの中に、通貨発行機能があると言うことです。
金貨や銀貨、そして王様の借用書などは通貨ではありません。経済システムを運用するために通貨発行機能を効果的に使うことが出来るという・・経済学を論ずるわけです。
ミクロ経済学では、利益や配当が重視されます。利益が多く出れば豊かになり、配当が多ければ豊かになるわけです。しかしマクロ経済学では、利益や配当は経済システムの中の「富の偏在」としか見ません。
「富の偏在」は自由主義経済では自動的に起きてしまいます。それが小さな偏在で分散していれば良いわけで、それで通貨の流通は確保されます。(コロイド状の富の偏在)
しかし「偏在」が大きくなっていくと通貨の流通が阻害され始めます。大きな偏在がより大きくなり、小さな偏在が吸収されていきます。(ゲル化する富の偏在)
偏在が大きくなる切っ掛けを、ピケティ氏は「資本利益率が経済成長率(GDP)を上回った時」と論じたのでしょう。
しかし、なぜ資本利益率が経済成長率を上回るのか、そこまでの言及は無いようですね。
経済成長率を高く維持するには、社会に需要が多いことが必要です。しかし、社会の需要は次第にサチュレートしていきます。皆さんが「特に今、欲しいものはない」と言いだした時が需要低下の信号でしょう。
「欲しいのはお金」と言い出せば、マネーゲームが始まります。マネーゲームでは実体経済の力は付きません。
このような時、社会にとって必要なのはイノベーションです。何か新しい需要を喚起するような製品開発がなされれば良いのです。ところがマネーゲームなどが始まると配当金が要求され、開発費用が配当金に回ってしまってイノベーションが起きなくなることも考えられるのではないでしょうか。
また、イノベーションを起こさせるようなインフラ整備も必要でしょう。そしてインフラ整備は国が行わなければ誰も出来ません。(国はマクロ経済ですから)
例えば最近、電気自動車(EV)が販売されていますし、水素を使う燃料電池車も販売が始まりました。しかしこれらを使うには、あらゆるところに充電スポットが必要になり、GSに併設される水素ステーションが必要です。民間業者が入るためには先に需要が無ければ無理なのです。ですから国家事業として、先行してこれらのインフラを作るしかありません。
EVとか燃料電池車は企業が作れますが、それを使うために必要となる社会インフラは、最初は国がやるしかないでしょう。「膨大な借金」を作ってこれらを行えば、やがてEVなども需要が出るはずです。
このようにして、イノベーションを起こしていけば経済成長が高まり、投資も活性化されお金が動き始めます。(インフレによって膨大な借金は小さくなります)
この時の「国家の膨大な借金」こそ、通貨発行機能でなされるものです。富の偏在は経済成長(インフレーション)によって解消していくはずです。
このようにしないと、富の偏在が大きくなってデフレが深刻化し、やがて戦争によって上記の逆の負のイノベーションが起きるはずです。(そうしないとお金に金利が付けられなくなるのでね)
「格差があって何が悪い?」と言いますが、「戦争(紛争)になるから悪いのだ」と言うことが出来るのではないでしょうか?
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