2015年2月4日水曜日

日本が移民を受入れられない理由

イスラム国によって犠牲になられた2名の日本国民のご冥福をお祈りします。
これから長く続く日本の戦いの犠牲者でもあります。その動機について、さまざまな書き方がマスコミなどに書かれております。
わざわざそんなところに出向いて、迷惑をかけて・・・とか、「話せばわかると思ったのか。それは日本にだけ通用することだ・・・」など、あまり肯定的な意見は聞かれませんが。

もとはキリスト教国とイスラム教国の戦いで、1000年ほど前の「十字軍遠征」あたりから始まったものです。その大義は「聖地エルサレムの奪還」でしたが、強固なイスラム教国にキリスト教国はまったく勝てませんでした。
十字軍は盗賊集団のように、「イスラム教徒支配下の都市を攻略し虐殺、レイプ、略奪を行いながらエルサレムを目指した」という記録も残っているようです。

こうして略奪したイスラムの芸術品は、キリスト教国で高く取引され、商人たちは儲けることが出来ましたが、やがて十字軍が衰退していくと今度は自分たちでその芸術品を作り出します。それがルネサンスだったと思っております。
ルネサンスで調子に乗ったキリスト教国は、南のイスラム教国を避けて、海洋経由で南に侵略し、アフリカ、東南アジア、インドなどを植民地として蹂躙していきます。
キリスト教国にとって、面倒なイスラムを回避して繁栄を得ることが出来たわけです。石油の時代になるまでは・・・

やがて産業革命が起こり、資本は利益を求めて複雑な同盟関係を結び、日本も開国を余儀なくされ、武士道に近代兵器を持たせた大日本帝国がロシアを破り、西欧列強のやり方に異議を申し立て始めます。「人種による差別をするな」と言うのが日本の言い分でした。
もちろんそんな日本の言い分を欧米が聞き入れるわけもなく、ただ軍事と生産力と利益だけで押し通してきます。
日本も負けずに軍事力の近代化を成し遂げていきました。国家防衛の為でもありますが、軍事力しか通用しない世界にあって、「差別撤廃」を通すには先ず彼らと軍事力で対等になるしかなかったわけですね。

一方、列強に蹂躙されているアジアの国々は、近代化にはほど遠く、産業興国には相当時間がかかる状態でした。欧米の差別に対抗するには、彼らを近代化する必要があったわけです。
日清戦争で台湾を日本領土とした後、大日本帝国は台湾の近代化に取り組みます。そしてその後第一次世界大戦で戦った帝国は、太平洋の島々を国際連盟によってドイツから大日本帝国へ渡されます。植民地だったわけですが、我が帝国はそこも近代化しようと、委任統治領として開発に乗り出します。(植民地では国是に反しますからね)

植民地と委任統治領の違い・・そんなことは現地の人達には判りません。ただ、欧米人は現地人と食事を共には決してしませんでした。日本人は現地人とともに食卓を囲み食事をしたのです。恐らく今に続く現地の人々の親日は、ここから来ているのでしょう。

これは、大日本帝国の大義が「八紘一宇」にあったからです。八紘一宇とは、日本書紀に記された神武天皇が述べた言葉から、日蓮宗の田中智學が国体研究に際して初めて使用した言葉で、「道義的に天下を一つの家のようにする」という意味だそうです。

そして八紘一宇の精神は、現地の人々に近代化に必要なあらゆるインフラを提供し、その維持管理が出来るように現地人を教育し、「やがて彼らが独立して国家を運営できるようにすること」を目標にしていたのだと思います。世界中の民族の自主独立の確保、それこそが大日本帝国の大義であり目的だったと思うのです。

敗戦し、普通の日本国となっても、我々は負けませんでした。加工貿易による技術立国を目指します。そして今や日本の生産する製品は世界中から高く評価されるようになりました。結果的にアメリカを経済的に追い詰めた日本、しかしその目的は経済社会でトップになることではありません。ただ「人種による差別をするな」ということを欧米に呑ませるための努力だったと思います。

日本はその技術をアジア各国に移転させています。単に経済的な目的だけではなく、その国が真に独立し、近代化することを目指しているわけです。
その国が、その地で豊かになり、その国民が国家の為にその国で働けるようにするためです。

最近、移民問題が浮上しています。「日本が少子高齢化するから国力維持のためには移民を受け入れるしかない」などとする移民政策を掲げる団体もあります。「心の広い国民の後押しで移民国家への道が開かれると信ずる」などとしております。
一方、移民反対の立場では「移民も年をとれば介護の問題も生じる。」とか、「反日教育を受けた中国人ばかりがやってくる」など、それなりの主張は判ります。

しかしそもそも移民とは、その国で食えないからやってくる人達です。侵略を目的に来る移民もいるでしょうが、それも自国では食えないという事情があるはずです。

つまり、移民政策とか「移民受け入れ」そのものが、日本の大義である「八紘一宇」と相容れない発想だと思うのです。
八紘一宇は、「その国で食えるようにする」ことが目的であるはずです。移民でその国の労働力をむしり取ることは、この精神に反すると思うのです。

少子高齢化で、どんなに苦しくても我が国が移民を受け入れることには反対です。本来は移民を出さざるを得ないような国を無くすように努力するのが世界の中の日本国の使命であり、国是のはずです。

かつて、我々の先達がそうしたように、それを受け継ぐ我々も、そしてその次の世代も、この日本の大義を貫いてほしいのです・・・

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