産経に「日本を否定する教育の異常」と言う記事が出ていました。建国記念日の翌日の記事です。
建国記念日は、「紀元節」のこと。明治6年に2月11日に定められ、初代天皇である神武天皇の即位の日であるとされました。
ところが、ある中学校男性教諭の授業で、「紀元節(建国記念の日)は嘘だらけの日」と発言していたことが、山梨県で開かれた日教組の教育研究全国集会で報告されたと言うのです。
この教師は天皇制批判もしていたそうです。
GHQがサヨク教師を作り出したことは歴史的事実ですが、記事には「古典的な左翼教師がまだ教育の現場にいる」と書かれていました。
GHQは紀元節を祭日とは認めませんでした。占領中はもちろんのこと、サンフランシスコ条約締結後も祝日法からはずされます。サヨクが日本の中枢に居座っていたからでしょうね。
GHQの見解は「この日(紀元節)が許さるべきでない根拠は、それが神話的起源の日であるからだけではなく、むしろそれが…超国家主義的概念を公認し、かつ一般占領目的に背くものだからである」と言うことで「精神的武装解除」を目指したから・・と言うことです。
我が国も抵抗し、例えば新嘗祭(にいなめさい)は、「勤労感謝の日」ということで祭日にします。キリスト教にも謝肉祭などと言うものがありますから、これは認められたのでしょう。
しかし紀元節はサヨク系の多くの日本国民によって主権回復後もなかなか祭日にされませんでした。
昭和41年になって、やっと紀元節を「建国記念日」として祭日に出来ましたが、このとき「紀元節問題」という進歩的知識人らの名前が並ぶ冊子が刊行され、「紀元節復活を勝ちとった右翼は、つぎの計画として明治節-明治維新百年-安保危機突破をめざし…」とか「二月十一日は日本人にとって悪夢再現の日となった。反動政策の環が着々とつながれつつある今日…」などと言う文言が書かれていたそうです。
しかし、この中学教師の発言は、「神武天皇という実在しなかった天皇が、空から高天原に降りてきて日本を治め始めた、という嘘だらけの日」などと、それこそ日本史をまったく誤解している発言となっていたそうです。
神武天皇の即位と、ニニギノミコトの天孫降臨神話と混同していて、「神話を敵視するGHQ的史観をそのまま現在に持ち出している」と記事に書かれていました。
私は神武天皇は実在した人物と考えます。今から2675年前の出来事です。そしてここから弥生文化が始まります。
そして神武天皇は古代エジプト文化を引きづっているように思います。エジプトの歴史は今から5000年以上に遡れますが、それはヒエログリフという文字として残された記録があるから遡れるのです。
古代エジプトは今から2500年ほど前に滅びますが、それより200年前くらいから周辺の国家などとの侵略が激しくなってファラオ制度が揺らぎ、2人のファラオが出て来るなど国家存亡の危機的状態が続いていました。知識層がユーラシア大陸を東に逃げていったことは想像できます。
暖かい南に降りて、やがて九州あたりに到着したとしてもおかしくはないでしょう。そして日本列島は季節を有し、雨が多い島で水がいっぱいある土地です。麦ではなく稲も育つことが理解され、米(コメ)の文化へと変遷していったように思います。稲作は日本から朝鮮半島に渡っていったようですね。
どうやらユーラシア大陸には、西の文化が東に伝わる宗教的ルートがそのころから出来ていたのではないでしょうか。
地球規模で見ても、3300年ほど前から寒冷期に入り、縄文文化が大打撃を受けていたそうです。2600年前頃から少し暖かくなったようで、神武天皇から始まる東方遠征が縄文を凌駕していく背景には稲作文化があったと思われます。
1400年ほど前に聖徳太子が、天皇を政治権力から引き離し神道の祭司としたのは、もしかしたらファラオ制度の復活だったのかも知れませんね。神武天皇と同じ時代に発祥した仏教を哲学の基礎となし、宗教的儀礼は神道となし、政治活動をローマ式民主主義(和を持って貴しとなす)として日本システムの構築(改革?)を断行した「厩戸の王子プロジェクト」だったのではないでしょうか。
それからしばらく後に書かれた古事記や日本書紀は、ヘブライの神話、旧約聖書の天地創造に酷似しているように思うのですけど。縄文の神話をまとめて弥生文化的にストーリーを作り天地創造に合わせたのかも知れません。
十七条憲法は「十戒に民主主義を加えたもの」だったようで・・・
神話を否定し、歴史を否定し、そしてそれらの間違った解釈を平然と語るサヨク教師。
こんな教師に教えられる子供が気の毒です。はやく根絶しなければ・・・
ところが、ある中学校男性教諭の授業で、「紀元節(建国記念の日)は嘘だらけの日」と発言していたことが、山梨県で開かれた日教組の教育研究全国集会で報告されたと言うのです。
この教師は天皇制批判もしていたそうです。
GHQがサヨク教師を作り出したことは歴史的事実ですが、記事には「古典的な左翼教師がまだ教育の現場にいる」と書かれていました。
GHQは紀元節を祭日とは認めませんでした。占領中はもちろんのこと、サンフランシスコ条約締結後も祝日法からはずされます。サヨクが日本の中枢に居座っていたからでしょうね。
GHQの見解は「この日(紀元節)が許さるべきでない根拠は、それが神話的起源の日であるからだけではなく、むしろそれが…超国家主義的概念を公認し、かつ一般占領目的に背くものだからである」と言うことで「精神的武装解除」を目指したから・・と言うことです。
我が国も抵抗し、例えば新嘗祭(にいなめさい)は、「勤労感謝の日」ということで祭日にします。キリスト教にも謝肉祭などと言うものがありますから、これは認められたのでしょう。
しかし紀元節はサヨク系の多くの日本国民によって主権回復後もなかなか祭日にされませんでした。
昭和41年になって、やっと紀元節を「建国記念日」として祭日に出来ましたが、このとき「紀元節問題」という進歩的知識人らの名前が並ぶ冊子が刊行され、「紀元節復活を勝ちとった右翼は、つぎの計画として明治節-明治維新百年-安保危機突破をめざし…」とか「二月十一日は日本人にとって悪夢再現の日となった。反動政策の環が着々とつながれつつある今日…」などと言う文言が書かれていたそうです。
しかし、この中学教師の発言は、「神武天皇という実在しなかった天皇が、空から高天原に降りてきて日本を治め始めた、という嘘だらけの日」などと、それこそ日本史をまったく誤解している発言となっていたそうです。
神武天皇の即位と、ニニギノミコトの天孫降臨神話と混同していて、「神話を敵視するGHQ的史観をそのまま現在に持ち出している」と記事に書かれていました。
私は神武天皇は実在した人物と考えます。今から2675年前の出来事です。そしてここから弥生文化が始まります。
そして神武天皇は古代エジプト文化を引きづっているように思います。エジプトの歴史は今から5000年以上に遡れますが、それはヒエログリフという文字として残された記録があるから遡れるのです。
古代エジプトは今から2500年ほど前に滅びますが、それより200年前くらいから周辺の国家などとの侵略が激しくなってファラオ制度が揺らぎ、2人のファラオが出て来るなど国家存亡の危機的状態が続いていました。知識層がユーラシア大陸を東に逃げていったことは想像できます。
暖かい南に降りて、やがて九州あたりに到着したとしてもおかしくはないでしょう。そして日本列島は季節を有し、雨が多い島で水がいっぱいある土地です。麦ではなく稲も育つことが理解され、米(コメ)の文化へと変遷していったように思います。稲作は日本から朝鮮半島に渡っていったようですね。
どうやらユーラシア大陸には、西の文化が東に伝わる宗教的ルートがそのころから出来ていたのではないでしょうか。
地球規模で見ても、3300年ほど前から寒冷期に入り、縄文文化が大打撃を受けていたそうです。2600年前頃から少し暖かくなったようで、神武天皇から始まる東方遠征が縄文を凌駕していく背景には稲作文化があったと思われます。
1400年ほど前に聖徳太子が、天皇を政治権力から引き離し神道の祭司としたのは、もしかしたらファラオ制度の復活だったのかも知れませんね。神武天皇と同じ時代に発祥した仏教を哲学の基礎となし、宗教的儀礼は神道となし、政治活動をローマ式民主主義(和を持って貴しとなす)として日本システムの構築(改革?)を断行した「厩戸の王子プロジェクト」だったのではないでしょうか。
それからしばらく後に書かれた古事記や日本書紀は、ヘブライの神話、旧約聖書の天地創造に酷似しているように思うのですけど。縄文の神話をまとめて弥生文化的にストーリーを作り天地創造に合わせたのかも知れません。
十七条憲法は「十戒に民主主義を加えたもの」だったようで・・・
神話を否定し、歴史を否定し、そしてそれらの間違った解釈を平然と語るサヨク教師。
こんな教師に教えられる子供が気の毒です。はやく根絶しなければ・・・
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