2015年12月11日金曜日

盛り上がり欠く憲法改正

現在の日本国憲法が、GHQの押し付けであり、所詮「占領下の憲法」であることは衆知の事実です。
なにしろこの憲法を押し付けたチャールズ・ルイス・ケーディス氏自身も、晩年ごろにあの日本国憲法に関して「えっ、まだあの憲法を使っているのか」と絶句したと言います。
つまり日本国憲法を押し付けた本人ですら、「これは占領期間だけ有効な憲法だ」と思っていたわけですね。

日本が被占領中だった1949年の10月に、蒋介石の国民党を台湾に追い出した毛沢東が中華人民共和国を建国しましたが、何故か彼らは「大日本帝国(日帝)」を追い出して建国したとしております。
その時日本はGHQ占領下にあったことを隠し、「嘘」で建国を祝ったわけですね。

そして1951年、サンフランシスコで講和が結ばれ、日本の占領統治が終わり、日本は独立国として再建の徒に就きますが、中共はこれが不満だったようで、サンフランシスコに抗日記念館を建てて「サンフランシスコ講和条約無効」を本気で画策しています。

まあそれはさておき、この講和の後に朝鮮戦争が勃発、アメリカは日本に再軍備を要求しますが、吉田首相は日本国憲法を楯にとって拒否します。
アメリカも仕方なく、「まずは日本の経済復興である」として日本に対する経済、技術援助とアメリカ市場の提供までしていただきました。
そしてこれが、今思えば「ヘブライへの妥協」の定着になった原因のような気がします。

明治政府によって作られた「大日本帝国憲法」は、欧米というヘブライ国家を学んで作った日本独自の憲法ですが、マグナカルタを憲法と訳したことが、「天皇」の位置を不明確にしてしまった最初で、「日本国憲法」では天皇の意味をヘブライ系が捉えられずに、「象徴天皇」としたわけですね。

「大日本帝国憲法」は、本来ならば「大日本帝国基本法」とすべきでしたね。そして憲法とは「17条憲法」だけにしておけばよかったように思います。17条憲法はマグナカルタではなく、ヘブライの「十戒」に相当する日本の価値観です。
現在もなお、何かトラブルが起こると「和を持って貴しとなす」などというフレーズを使いますからね。

大日本帝国憲法では、我が国の主権は「天皇」にありました。GHQはこれを新憲法で「国民主権」に置き換えます。これはマグナカルタの精神です。つまり天皇を英国の「ジョン王」と同格に見たのではないでしょうか。
ここから、天皇の意味が日本国民にも判らなくなっていきます。サヨクは天皇制廃止という言葉を使いますが、天皇制などと言われれば、ますます天皇って何かが判らなくなってしまいますね。

そもそも「主権」がどこにあるか、などという議論はヘブライ系の議論です。王権などというものを真剣に議論し、王権神授説などという訳の分からない言葉も生み出されています。
この不毛の議論に対し、「国民主権」という言葉が生まれ、そして「民主主義」が生まれたわけですから、本来このような議論に日本文化は馴染めないはずです。

1274年の元寇の乱で鎌倉幕府の力が弱まり、戦国時代になってしまった日本。欧州では大航海時代が始まり、アジアが蹂躙され始めます。
そして織田信長の時代から日本の中央集権化が始まりますが、徳川の江戸時代になって徹底した管理貿易が欧州列強から日本文化を守ります。

やがて始まった産業革命。民主主義は産業革命によって可能になった制度です。農業社会で科学がまだ技術と結びつかない時代は王様が必要だったと思います。
産業革命が日本の明治維新を生み出し、欧米列強と対峙する必要からさらなる中央集権化を進めるために明治政府によって「天皇」が用いられ、そしてヘブライの王のような「明治天皇像」が構築されたものと考えます。
この急激な、そして強力な中央集権化が「天皇主権」というものを生み出したのではないでしょうか。

このような経緯があって、日本国民の憲法認識があやふやになっているように思えます。聖徳太子が作った「憲法」と言う言葉。その「和」の精神を受け継ぐ日本文化なのです。
小さな和が、和をもって集まり、大きな和になって完結する大和(やまと)が我が国です。
日本のきものを「和装」と呼び、日本の料理を「和食」と呼び、日本のお菓子を「和菓子」と呼ぶのが我が国日本の国民です。つまり17条憲法が、現在も生きている証なのです。
ヘブライの観念を持ち込み憲法をマグナカルタに置き換えた時、この時点で日本国民は憲法がよく判らなくなったといって良いのではないでしょうか。

憲法学では、憲法の原点をマグナカルタに置いているようです。17条憲法には置いておりません。しかしマグナカルタは日本語では「大憲章」であって憲法ではありません。
そして多くの国家はこれを基本法と称し、「法治の基礎」に据えます。基本法は基本法であって憲法とは違います。
このような不明瞭を放置したまま憲法論議をするから、日本国民は憲法改正に盛り上がらないのではないでしょうか。サヨク暴徒の9条擁護が原因ではないように思います。

憲法は17条憲法に戻し「神道」系の管轄(道徳)として、新たに日本国基本法を作り、国民主権の法治国家を目指すならば、基本法改正に天皇を持ち出すことは無くなるでしょう。

ヘブライの概念では天皇陛下を位置付けられません。むしろ古代エジプト(ヘブライ系ではない)のファラオの方が、天皇陛下の概念に近いように思うのですが・・・

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