2011年2月4日金曜日

八百長相撲と人は言うけど

捜査当局が押収した現役力士の携帯電話のメールのやりとりで、相撲の八百長が明るみみに出たようです。
昔、八百屋の長さんが、相撲の勝敗で賭けをして、強い方の力士に金を払って負けさせ、莫大な利益を得ていたことから、八百長相撲という言葉が生まれたとか・・・?

しかし、相撲とはもともと神道の奉納相撲であり、何を奉納するかと言えば、田の力(田で働く力)を見せて奉納するものだったはず。その力を見せるために力自慢の男が取り組み、勝敗を競ったもの。
どちらが勝とうと、力の奉納には関係が無いわけですね。
でも、観客から見ると勝敗は絶好の話題。神社から見ても人寄せに相撲は絶好の行事と言うことで、相撲の形態が整っていったのだろうと思います。

ですからスポーツとはちょっと筋がちがうもの。近代相撲が始まったのは戦後です。
初代若乃花が、それまでの相撲を少しスポーツ的にアレンジし、これまで10日だった大相撲を2週間の15日としました。これで初日と千秋楽を日曜日にすることが出来ます。
相撲の人気を煽るには、やはり強い力士が必要で、ヒーロー的存在が居なければなりません。
「栃若時代」などといって、最も優れた力と技が拮抗する2人をヒーローとすることなど、相撲人気を確保する手法も判ってきます。
大相撲の回数を年6回としたり、地方巡業のやり方も整えます。相撲を日本の国技として、海外への巡業ということも実現して行きました。

敗戦に打ちのめされた日本の復興に合わせて、大相撲も苦労しながら、国技となっても国からの援助に頼らず、興行収入を確保して維持してきたことも見事でした。
しかし、興行を打つためには観客動員力が必要で、やくざなどとの絡みも時折噂されていました。勝敗があるところには、必ず賭け事もついて回ります。そしてどんなに近代化しようとしても仕切れない伝統的体質があることも事実でした。
相撲のライバルとして「野球」とか「プロレス」「ボクシング」なども登場してきます。伝統的体質が足を引っ張ったこともしばしばだったのではないでしょうか?
そして次第に相撲・角界と他のプロスポーツとの境界があいまいになっていきます。相撲に参加してくる若き力士達の認識が、角界とプロスポーツ界を同格に見るようになってしまうことも致し方ないのかも知れません。

野球賭博が発覚したり、相撲内部のいじめ、リンチなどが発覚したり、暴力団との繋がりが発覚したりして、このところ相撲内部の腐敗が明らかになってきました。
相撲人気を取り戻すために、日本人と肌合いの悪かった朝青龍関を解雇し、同じモンゴル出身でも日本人と肌合いの合う白鵬関をヒーローに持ってきて、やっと相撲人気挽回の準備が出来てきた矢先、今回の八百長相撲の発覚となってしまいました。

角界に限らず、プロスポーツの世界ではヒーローを作ることにやっきです。それが興行収入を大きく左右するからでしょう。
少し古い話になりますが、単身アメリカ野球に入った野茂投手など、その独特の投球フォームがアメリカ人を魅了しました。
その影には、審判たちの野茂ゾーンという暗黙の了解事項があったという噂を聞いたことがあります。すなわちストライクゾーンぎりぎりのボールは、野茂の場合にはストライクにしたという話。解っていても他の選手たちは何も文句は言いません。それでアメリカのベースボールの人気が高まるならば協力しようと言うわけです。
それがプロのプロたる所以なのかも知れませんね。

相撲も、ヒーローを作り出すに「取組み」を細工したり「稽古のやり方」を工夫したり出来ます。
そして角界がどのようなヒーローを作り出そうとしているかも、プロ力士から見るとすぐ理解できるはず。(会議などで話し合って決めるわけには行きません。そんなことをしたら不正行為ですから。黙っていてもわかるだろ、ということです)
八百長とそうでない取り組みとの暗黙の駆け引きもあるでしょう。相撲の人気を上げるためにどうしたらいいか、その駆け引きならむしろ当然のことでしょう。
しかし、それが判らない力士たちも多く居ることでしょう。自分のことを中心に考えて、こともあろうに携帯電話のメールなどを使って証拠の残る駆け引きをやってしまったようですね。

プロスポーツよりも、角界は狭い世界。同じ釜の飯を食う集団。ですから取り組みに八百長が行われても、むしろ当たり前の世界とも言えるでしょう。
日本人が好む「義理と人情」も、角界は持っています。上手に使えば日本では人気も出るのではないでしょうか?
しかしそれが不正取引と見られて、相撲人気を落とすようでは・・・困りますね。まして政治家がしゃしゃり出てくるようなことも・・・

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