2016年12月25日日曜日

憲法、改正か廃棄か・・

全く話題に登らなくなってしまった憲法改正の話題ですが、安倍政権はすでに王手を掛けております。しかし、国民の間に憲法改正を嫌がる国民が居ることも確かで、安倍首相は「国民の議論を喚起」することを望みながら、現在は放置された状態が続いております。

しかし安倍首相は、来年1月の通常国会で「憲法改正」の発議をし、同年後半、国民投票を実施するとしている・・と言うことが報道されました。

ここに憲法改正に反対の意見を述べる保守陣営があります。
「ときみつる會」という高知市にある団体です。
「生長の家」という神道系の宗教団体があって、その開祖である谷口雅春師の教えを受け継ぐ団体があり、その中の組織のようですね。
http://www.jp.seicho-no-ie.org/

政治家では「平沼赳夫」衆議院議員が生長の家に所属しているようです。他にも多くの議員が参加しているようですけど・・・

さて、神道の議論はさておいて、ここでは憲法改正に反対する理由を見てみたいと思います。

上智大学の渡部昇一教授や、神奈川大学の小山和伸教授などが述べておりますが、ようするに現行憲法は進駐軍、つまりアメリカの押し付けであるから廃棄すべき物であり、一旦「大日本帝国憲法」に戻してからそれを改正するべきだ・・と言うことです。

敗戦の時からの経緯を考えてみれば、これは当然のことであり「筋の通った話」です。

現行憲法が「マッカーサー憲法」と言われているのはご存知の通りです。この憲法が発効された時、白洲次郎氏は悔し涙を流して「絶対に廃棄してやる!」と叫んだとか。

占領中の国家の法律を勝手にいじることは1899根に作られた「バーグ陸戦条約」の違反になることは間違いがなく、それゆえにマッカーサーはあたかも日本が自らの意思で作ったように細工をしています。つまり占領軍もこの条約のことは知っていたということでしょう。

この国際法違反の憲法は、1951年のサンフランシスコ平和条約締結で日本が敗戦国から独立国に戻った時に廃棄されるべき憲法でした。
しかし国際情勢は朝鮮動乱に及び、共産主義者がアジアを席巻し用としていた時代です。アメリカは日本軍の復活と朝鮮戦争への参加を期待しますが、吉田首相はそれを拒否します。その時に使った根拠がこの憲法だったのです。そして「日本はまだ再軍備の時ではなく、経済復興が先だ」というものだったのですね。

この時の吉田首相の判断は冬至の国際情勢から見れば正しかったと思います。アメリカは単独で戦い、しかも経済復興を目指す日本に軍事物資を発注して日本経済の基礎を固めてくれました。
朝鮮戦争は1953年に停戦となりますが、またいつ再開するか判らず、吉田首相は警察予備隊を自衛隊として再編させます。しかし軍隊にしてしまいますと「マッカーサー憲法違反」になりますから、警察と同じ「公務員」として扱ったのです。これが現在まで、「戦えない軍隊」として自衛隊の足を縛り続けているわけです。(公務員はポジティブリストで動く)

このマッカーサー憲法の問題点は、この中に日本を消滅に導く仕掛けがしてあることです。そしてその仕掛けはアメリカ軍が国内に駐留することでこれまでは表面化しませんでした。
「思想的な問題」とか、「独立国家の要件を満たしていない」などの批判はありましたが、結局アメリカが引き受けてくれる「きつい仕事」に慣れ切って、日本国民は「それで良い」と思ってしまったようです。
憲法などはどうでもよく、「戦争は嫌」などという感情で判断されています。戦争とは政治的失敗(失政)で起きるもので、隣国中共は経済面において失政を続けております。

アメリカはもう超大国ではなくなりました。そしてこれから、この「マッカーサー憲法」の毒が回り始めようとし始めています。
このような現実が、日本国民にはまだよく判っていないようです。その原因としてはテレビの悪影響が大ですけどね。

「ときみつる會」の言うように、このマッカーサー憲法は廃棄してしまうのが筋というものでしょう。しかしこれからそのようなことが可能なのでしょうか。
マッカーサー憲法を改正してしまえば、その憲法を「日本が認めた」ことになるのは確かですが、安倍政権はすでに憲法改正に王手を打ってきているのです。

もしかしたら、残された道は一つかも知れません。憲法改正の手続きとして、現行憲法の廃棄と新憲法の創設にしてしまうのです。
そしてマッカーサー憲法の「日本語として判りにくい部分」を大日本帝国憲法の文章を口語訳したものを当てはめるようにします。
不満足部分は後で改正することにして、96条を国会議員2分の一にしておくことを忘れないように。

最も私は、憲法は十七条憲法にまで戻して、大日本帝国憲法も日本国憲法も廃棄し、これらに該当するものとして「日本国基本法」を創設することが一番良いように思っています。
「憲法」とは、ヘブライの「十戒」に相当する言葉です。十戒がネガティブリストになっていることに対して「十七条憲法」はポジティブリストになっているという大きな違いがありますけど。

そしてこの十七条憲法は、我が国2677年の歴史の中のほぼ真ん中、約1400年前に作られたもので、それまで日本のもう一つの呼び方「倭」という醜い文字を「和」という我が国の中核価値を表す文字に変えた時代でもありました。

このような考えは私だけなのでしょうか?

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