2011年11月19日土曜日

オウム真理教元幹部、中川被告に死刑確定

坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件と、多くのテロ殺人を行ってきたオウム真理教。 その幹部であった中川智正被告(49歳)の死刑が確定しました。(上告棄却)
これでオウム事件の被告は12名が死刑となります。あとは同じく元幹部の遠藤誠一被告(51歳)の上告だけが残っていて、その判決は今月21日になされるそうです。

さて、18日に死刑が確定した中川被告ですが、弁護人を通じて短歌を発表しております。
1)「恐ろしき 事なす時の 我が顔を 見たはずの月 今夜も静(さや)けし」
2)「りんご樹を この世の隅に 今植える あす朝罪で 身は滅ぶとも」
3)「遺(のこ)しおく その言の葉に 身を替えて 第二の我に 語りかけたし」
というもの。

中川被告は覚悟は出来ているようで、このオウム事件について次のように語ったとか。
「オウム真理教関連の裁判全体に関しては残念に思っていることがあります。 どうしてあのような事件が起こったのか、必ずしも明らかになっていない。事件の動機や背景が、少なくとも事件を知らない世代の方が分かるような形では記録として残されていないと思います」

これが判るまで延命させて・・と言うわけでもないでしょうけど、素直な心境かも知れませんね。
ただ、このようなことはすでに解明されているのではないでしょうか?
ようするに閉ざされた空間が作り上げられると、このような事件に発展するものなのですよ。それが理解出来ていない中川氏が、このような事件の首謀者になってしまったというだけのこと。

オウム真理教という、麻原彰晃・本名:松本智津夫(まつもとちづお)が作り上げた閉ざされた集団の中で、言語の造語機能がゆがんで働き、外界からの阻害に対して自己正当化を行う言葉が出てきたのでしょう。
あとはその言葉を具現化するために積み重ねた犯罪です。
閉ざされた集団とは、閉ざされた言語空間ということです。

オウム真理教の前には赤軍派の「総括」という名目での虐殺事件がありました。死刑判決後に獄中で病死した「永田洋子死刑囚」が首謀者だった事件で、赤軍という閉ざされた集団の中で起こった事件でした。
これも同じ原因だと思います。

共産主義の活動家もまた、保守の厚い壁にぶち当たり阻害され、まだ社会の中で未熟な若者(あるいは子供)を集めて閉ざされた集団を作ります。共産主義活動が「カルト教団」と同じように振舞う理由は、閉ざされた集団は同じ状況を作り出すということの証明でしょう。
人間社会とは、基本的には最初は閉ざされた集団を作るものなのです。その集団がぶつかって、何らかの方法で融合し、これを繰り返すことが人類の歴史であり、現在まで続く国家の歴史は、このような歴史になっているはず。その歴史の教訓から学び取ろうとする発想(人類の叡智)が保守の発想というもの。
歴史を否定し、基本からやり直そうとするのが革命思想で、現在は「設計主義」と言うのだそうですね。
これで大失敗したのがソビエト連邦。だいたい共和国という体制は「設計主義」で出来ています。こういう国家はカルトと同じような振る舞いをします。「集団がぶつかって、何らかの方法で融合し、これを繰り返す」という歴史的経験が少ないからでしょうか?

「閉ざされた集団」を開くには、その集団にとって大変な危険を伴います。ですから「カルト集団」は外部から人を呼び込む場合は、なんらかの儀式(イニシエーション)を行います。こうして閉ざされた集団をまもる訳です。
歴史ある「カルト集団」は、密教とか秘儀などと称しますが、歴史のない「カルト集団」は犯罪的行為をやってしまうのではないでしょうか?

これがオウム真理教の犯罪の分析で、中川死刑囚の疑問の答えだと思います。
やってしまったことの責任は取らなければなりません。
しかし、民主党の法務大臣は執行命令書に印鑑を押せるでしょうか?

民主党自体が、設計主義でカルト的ですからね・・・

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