2011年4月13日水曜日

我欲を抑えろ!、石原都知事の弁

4選を果し、4期目の都政をまかされた石原東京都知事。
震災の影響で満足な演説が出来なかった候補者達ですが、その顔ぶれを見ても、やっぱり石原慎太郎氏しかふさわしい人は居なかったようにも思います。
しかし78歳というご高齢。次の都知事選挙にはもう出られませんから、どうか4年後の都知事選に向けて新人候補は今からインターネットなどを使って頑張って欲しいものです。

さて、再選された石原都知事、その最初の言葉が「日本はこれから大変。我欲を抑えて生活をつましくする決心をしないと日本はもたない。抑制しないとこの国は再生しない」というもの。
その上で「(震災は)国難。これを契機に立ち上がらないといけない。微力ですが私もがんばる。日本人同士肩をくんでがんばろう」と、東京だけでなく日本全国に呼びかけたようです。
そして「国の役人は何も気づいていないし、統御する政府もだめだ。東京は東京でやる。力はあるから東京のためだけでなく、日本のために東京が貧乏になったっていいじゃないか」と、民主党政権への挑戦とも取れる発言が続きました。

「我欲」とは自分一人の利益・満足だけを求める気持ちです。
もともと日本人の我欲は「名誉」であって「物欲」とか「金銭欲」ではなかったはずです。それが大東亜戦争での敗戦後、アメリカからやってきた合理性で「企業」とは「利益追求の組織」という教えが広まり、高度経済成長を経て目に見えて豊かさを実感するようになると、「豊かさを求めることは悪いことではない」という考えが常識化しました。
もちろんそれは「産業主義」では正しいことですが・・・

江戸時代、まだ産業というシステムが無かった頃、日本は高度に発達した分業制度がありました。生産が細かく分業されていて、生産プロセスが多岐にわたる職人の腕に掛かっていた時代。
大量生産は出来ませんが、分業制度での作業効率は良かったようです。
世の中に需要はありますから、作ればなんでも売れた時代。ただし職人の腕が良くなければ値が付かない厳しい時代でもあったわけです。
「腕のいい職人は宵越の銭は持たない」ことが当たり前で、「江戸っ子の生まれそこない銭をため」などという川柳もありました。
これが「粋(いき)」というもので、「銭が欲しけりゃ腕を磨け」ということ。
要約すると「貯金をするな(我欲に走るな)、腕を磨け。そうすれば仕事はいくらでもやってくる」というのがカッコいい生き方だったということです。

現在でもこのような生き方が必要な場があります。「芸能界」「スポーツ界」「さまざまな芸術(職人)の世界」などがそうでしょう。
ある意味で、腕を磨けばお金がついて来る世界ですね。そして「我欲」の強い性格は必ず嫌われます。

腕を磨いて「もらった賞金は全額、被災地に寄付します」などと言うと英雄になれます。
欧米諸国(即ちキリスト教圏)もこの言葉には感動したようですから、こういうことをカッコいいと感じるのは日本人だけでもないようですけど。

石原都知事の言う「我欲を抑えて生活をつましくする決心をしないと日本はもたない」ということを、江戸時代の生き様に合わせて考えればカッコいいことなのかも知れません。
「生活をつましくする」とは、ケチケチと倹約して生きることではなく、いつでも自分の腕で稼ぐことが出来るが、今は金が無い・・・という生き方であって、人様が困っている時こそ、「自分の腕の見せ所」として大いに働く・・という精神のことではないでしょうか?

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