2017年2月22日水曜日

韓国は崩壊する・・

反中化した北朝鮮、そして中共の謀略に負けていく韓国。国際社会には今、戦争の危機が迫っているようです。

中共の日韓引き離し作戦は、「従軍慰安婦」問題を捏造することで成功してしまいました。本来であればこれで朝鮮半島は完全に中共の支配下に入るはずでした。しかし北朝鮮の金正恩最高指導者は、その中共に対して金正男氏を殺すことで反中の意思を示したようです。

それにしても、朝日新聞の捏造した従軍慰安婦を性奴隷とまで貶めて世界に吹聴する韓国人の精神状態にあきれます。
20万人の性奴隷・・一日100人ずつ集めても、1年間で36500人。20万人集めるのに5年以上かかる計算です。
その間、韓国の男性は何もしないで見ていただけと言うことになりますね。その韓国人男性の不甲斐なさを象徴する慰安婦像を世界中に建てて喜んでいる姿が、何ともやりきれないわけです。

韓国人は、「日本軍の非道を訴えている」つもりかも知れませんが、アングロサクソンなどの男性が見たら、「だらしない韓国男性を象徴する像」としか見えないのではないでしょうか。
この性奴隷を煽っている華人たちも、心の中では蔑笑しているはずです。「思った以上にうまく行った」と・・・

「日本統治時代はそんなに悪く無かった」としゃべったお爺さんを、韓国の若い男性が寄ってたかって殴り殺してしまったという事件がありました。
幼児性暴力を持ち続ける韓国人男性なのです。冷静に事態を考えることが出来ないのでしょう。現在はこの韓国に甘い言葉ですり寄る中共ですが、アメリカ軍が引き上げれば、こんな韓国人をのさばらしておくような華人ではないはずです。たちまち反抗する韓国男性(幼児性暴力をふるう)を粛清し始めるでしょう。

このような韓国人を、拓殖大国際学部教授の呉善花(オ・ソンファ)氏は「多神教の日本社会は歴史の多面性も受け入れるが、朱子学儒教を重んじる韓国では、情緒に反する事実が一切受け入れられない」と述べております。
しかし、この情緒性を徹底的に華人に利用されていることを、呉氏はどう見ているのでしょうか。

基本的には日本も情緒民族です。韓国と日本を別けているのは遺伝子ではないと思います。言語が関わっているだけだと思うからです。
島国日本は、縄文時代から情緒だけでは集団がまとまらないことを知っていました。弥生時代の神武天皇から、情緒に対する対立概念の「義」が生まれていたように思います。

正しい義が「正義」ですが、正しくなくても義は義です。おおやけに殉ずる義が大義であって、戦争の為には「大義があるか」が常に問題になっております。
この日本文化は、いつのころからか「義理と人情」として、「義」と「情緒」が対立概念であることを明確に示しました。

大東亜戦争で、戦争の大義を「アジア解放のため」としたのも、この大義が無ければ日本国民は戦えないからです。
人類というレベルでの大義でした。そしてこの大義のために日本国民は「情」を抑えて戦ったのです。

大東亜戦争の大義は達成されました。アジアの植民地が次々と独立を果たしていったからです。しかし太平洋で日本軍は戦闘に負けてしまったのです。
アメリカを中核とした連合軍がやってきて、この「義」に関するものをことごとく敵視し、徹底的に潰していったのです。

忠臣蔵の上演が禁止され、赤穂義士は赤穂浪士と呼ぶようにされるなど、「義」を抑えその上位に「愛」を置いたわけです。
これに対抗する日本の文化人も居りました。普及期に入ったテレビで「月光仮面」とか「怪傑ハリマオ」などという番組を作り、何とか「正義」を日本の若い世代に引き継ごうとしたのです。
「義理と人情」のやくざ映画も多く作られました。石原裕次郎なども、若い世代に何とか「義」を受け継ごうとした努力の結晶かも知れませんね。

しかしやがてテレビ局を蝕む「ヘブライの概念」が、「愛こそすべて」として「義」を無くし始めたのです。日本の現在の若者の多くはその犠牲になっているように見えます。

「愛が地球を救う」などという番組も作られましたね。しかしグローバリゼーションが終焉を迎えた今、「愛では地球を救えない」ことがはっきりしてきたわけです。なぜなら「愛」は常に「憎しみ」とともにある情緒だからです。
そして「義」の復活こそ、英国のEU離脱を誘導し、トランプ現象として表出したものであり、これが「国家主義」の復興、即ち「愛(情緒)」よりも「義」が必要なんだ・・ということが判ってきた結果だと思うのです。

これが判らない韓国なのです。ですから「愛」と同格にある「憎しみ」という情緒が国民に浸透し、それを使った国家形成が破綻し始めたわけです。愛と憎しみの情緒国家「韓国」は、「義」のない国家として、今後は同様に「義」のない華人からさんざんな目に合わされることは目に見えています。

日本国民からも、サヨクの働きもあって随分「義」が失われています。しかし「国家主義」の復活をチャンスに、もう一度日本の「義」の概念を取り戻すべきではないでしょうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿