サヨクの重鎮、土井たか子氏が9月20日に死去されました。享年85歳ということです。
土井氏は、かつて「拉致事件は捏造」というスタンスで北朝鮮を擁護しておりました。しかし、小泉純一郎政権の時、北朝鮮が拉致犯罪を認め、しかも5名の被害者を帰国させたことで、この土井たか子氏の北朝鮮擁護は「嘘」であったことが明確化したわけです。
昭和44年に社会党から立候補して初当選した土井氏は、その後連続して12期も社会主義を信奉しながら議員活動を続けました。
昭和61年には社会党の委員長となり、「おたかさん」の愛称でマスコミ人気を上げ、「マドンナ旋風」などという鬱屈した女性たちの支持を受けて、平成元年の参院選で自民党の過半数割れを勝ち取りました。
この時、「山は動いた」などの発言が人気を呼びましたね。
平成5年、日本の土地バブル崩壊(平成3年)後の自民党の失政で不人気は続き、ついに自民党は野党となり、変わって細川護煕政権が誕生します。基盤の軟弱な連合政権でしたが、この時に土井氏は女性初の衆院議長に就きます。この政権交代の背後には小沢一郎議員が居たようです。そして政権交代の直後に、世界の流れに逆行するように日本は「小選挙区制」を導入します。
女性票を意識したのか、土井氏は「学校教育の場などにおいての『君付け・さん付け』の対男女使い分けがジェンダーフリーの観点から問題視されている」などという本当かどうか判らないことを言いだし、議員指名には従来慣行の「君付け」に代わり「さん付け」を用いました。
しかしこれは女性側からも評判が悪かったようで、土井氏の後に衆議院議長を務めた横路孝弘氏は、元に戻してしまいました。
平成6年、小選挙区比例代表並立制と政党交付金の導入を柱とする公職選挙法一部改正(俗にいう政治改革四法)が成立します。この時、この法案成立のために細川首相と河野洋平自民党総裁の会談を斡旋したのが土井議長でした。
社会党議員らが望まない法案を、このように可決した土井議長でしたので、社会党や土井氏の支持者から「土井の失策」と言われるようになったわけです。
それでもサヨクは必死に日本潰しに取り組んでいました。
従軍慰安婦の強制連行を述べた吉田清治氏は、平成7年にそれが「創作」であることを認めましたが、サヨク・朝日新聞はそれを認めず、人権派弁護士という連中が国連まで赴き、平成7年には吉田証言に基づいた「国連クマラスワミ報告」などが出されてしまいました。
平成7年、自民党は政権を取り戻すために大幅にサヨクに迎合し、自社さ連立政権を発足させます。そして村山富市氏を総理にして村山政権を作りますが、この時に発表されたのが、あの「村山談話」ですね。
この時の自民党総裁は河野洋平氏でした。
日本の左傾化が続きます。平成8年に社会党は社会民主党に改称し、「新党さきがけ」の議員と社民党の議員が新たな新党「民主党」を作ります。
平成8年、村山政権から橋本龍太郎政権へ政治は変わります。何とか自民党が政権を取り戻した格好ですが、まだ連立政権で、この時の厚生大臣があの「菅直人」氏(当時は新党さきがけ)でした。
低迷する経済、橋本首相に従わない大蔵省・・・日本はどんどん世界の舞台から離れ、世界は中共へと目を向け始めました。
もちろんこれはサヨクが望んでいたことです。
橋本龍太郎首相は、この年の9月に衆議院を解散します。小選挙区制での始めての解散です。そして10月20日に行われた選挙で、自民党は過半数には満たないものの、何とか党勢を回復します。
新党さきがけの2議席と社民党の15議席を乗せて、やっと過半数ということでしたが、第二次橋本政権は単独自民党政権として始まったわけです。
順調に進むかに見えた橋本政権でしたが、景気が回復したとのことで行った消費税5%へのアップが命取りになりました。
再びデフレに戻ってしまったことで激怒した橋本首相は、大蔵省に騙されたことで大蔵省を解体して財務省にしてしまいます。
しかしそんなことで景気は回復するわけもなく低迷を続け、橋本内閣は平成10年に終焉し、変わって小渕恵三内閣が誕生します。
この小渕内閣は、正しい景気対策を行い景気は再び回復へ向かいます。小渕首相は「日本一の借金王」として自分の行った財政出動を誇っていましたが、財務省からのいじめは常軌を逸していたようです。そのためかどうか、小渕首相は平成12年に脳梗塞で帰らぬ人になってしまいます。このため日本は再びデフレ状態に戻るのです。
その後政権を引き継いだのは森喜朗氏でした。森内閣は1年ほど続きますが人気は無く、ハワイ沖で修学旅行の学生がアメリカの潜水艦とぶつかって沈没、死亡する事件(えひめ丸事故)が起きた時にゴルフをしていたという理由で退任させられ、平成13年、政権は小泉純一郎氏へと繋がります。
そしてこの小泉政権で、北朝鮮の拉致が本当であったことを、金正日総書記が認めたために土井たか子氏の「嘘」がはっきりしたわけです。
土井たか子氏が本当に「嘘」をついていたのか、それとも親しかった北朝鮮に騙されていたのか、死去された今は知る由もありません。
ご冥福をお祈りします。
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