2013年3月31日日曜日

北朝鮮、朝鮮総連本部建物・死守成功


29日に決定された朝鮮総連合の中央本部の土地、建物の落札で、宗教法人「最福寺」の落札が決定しました。
この法主(?)である池口恵観(本名:鮫島正純)氏は、「総連側から借りたいという意向があれば検討する」と述べておりますから、まずは死守は成功だったと言うべきでしょう。
ただし、鮫島氏はその意味として、「国が北朝鮮に制裁を行っている。国の許しがあれば、(朝鮮総連が新たに本部とする)次の場所が見つかるまで、いてもらってもいいということです。基本的には、私は出ていってもらおうと思っている」などと述べ、日本国民からの反発を回避しているようです。
朝鮮総連が新たに本部とする)次の場所など、見つかるはずはないでしょうに・・・

深い霧に包まれた北朝鮮。いまだに虐殺などが行われ、人権侵害の激しい国家(準国家)であり、日本国民をサラっていって返さない極悪非道な国家・・なんですが、どういう国家なのか本当のところが霧の中のような感じがします。

「最福寺」の法主という鮫島氏は、現在は「永田町の怪僧という異名を取っている人物。戦前の5.15事件の生き残りである軍人たちと、戦後昭和36年に発生した三無事件で逮捕された経験もあります。
三無事件とは、旧日本軍の元将校らが画策したクーデター未遂事件で、初めて破壊活動防止法が適用された事件であることは御承知の通りです。
鮫島氏は、いわゆる軍国日本の右翼とのつながりを持っているようです。

その鮫島氏が、どうして共産主義の北朝鮮のために、一肌脱いだのか、そこに戦後の深い闇がありそうです。

アメリカ軍の圧倒的物量に、太平洋で日本軍が敗退を続けていた昭和19年、しかしながら東南アジアと中国大陸では日本軍は優位にありました。
石油の不足とアメリカが落とした2発の原爆によって、大日本帝国がついにポツダム宣言受託を受け入れた時、 東南アジアと中国大陸に駐留していた日本軍は「どうして?」という気持ちになったのは、まあ当然でしょう。

「金策(キム・チェク)」という男が、朝鮮の共産化を進めていましたが、停戦を受託した日本軍に対して、北朝鮮の構想を、大陸の日本軍人たちに話し、アメリカに対して戦いを続けようという呼びかけを行った可能性もあります。やがて発生した朝鮮動乱では、彼らもアメリカ軍に対して果敢に戦ったとしても不思議ではないでしょう。

同様に「八路軍」に投降するしかなかった第4練成飛行隊の林少佐は、その後共産中国の空軍設立に協力します。林少佐はその後日本に戻られていますから、その時の話も残されています。

北朝鮮の日本軍が居たのかどうか、もし居たとしてもおかしくない戦後のドサクサでした。
その軍人たちと、日本の元軍人たちがつながっていることも、想像に難くないとは思いませんか?
ゆえに、いまだに鮫島氏のように、北朝鮮のある部分とつながっている人物も居るということではないでしょうか?

鮫島氏は「中央本部が靖国神社の隣にあるということで、供養や慰霊の場としての利点もあり、何度か訪れるうちに『ここは譲りたくない』と思うようになった」と述べております。
鮫島氏の頭の中では、大東亜戦争で殉職された軍人と、北朝鮮とのつながりが今もあるのかも知れません。
朝鮮動乱は、38度線を境に停戦となりましたが、共産主義は今度はベトナムで対米戦を始めてしまいます。
このベトナム戦争で、ベトナム側が使った地下トンネル戦法は、本土決戦に備え計画していた旧日本陸軍の作戦計画の丸映しであることは、もはや周知の事実となっております。
表には出てきませんが、日本軍の将兵は「昭和50年4月30日」まで闘っていたとか。(佐藤守著「大東亜戦争は昭和30年4月30日に(日本の勝利のうちに)集結した・・より)

北朝鮮の直接的なアメリカとの戦いに比べて、日本国民は経済発展によってアメリカに戦いを挑んだようにも見えます。
その結果、日本側の無機的な経済繁栄と反比例するかのように、北朝鮮側は衰退の一途となり、現在に至っているように思います。

金王朝が崩壊したあと、あの半島の北をどのようにするべきか、そろそろ考えておいた方がよさそうです。
拉致犠牲者の救出も含めた北朝鮮対策は、ある意味において大東亜戦争の最後の決着なのかも知れませんね。

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