2013年9月22日日曜日

「おもてなし」の文化と従軍慰安婦

オリンピック招致活動の最終で、滝川クリステルさんが「おもてなし」という日本語をフランス語で説明しておりました。
「歓待、気前の良さ、無私無欲」という意味合いを持つ言葉で、遠い祖先から受け継がれ、近代的になった今の日本にも受け継がれている文化として、この「おもてなし」の心を説明しました。

「接待」との違いを強調したかったのでしょうね。「接待」には、取引をうまく運びたいとか相手を籠絡させるなどの目的指向を強く感じさせるところがありますから。
そこで「おもてなし」を無私無欲という言葉を使って説明し、そこから東京が世界一安全な都市であることの理由につなげた滝川クリステルさん、それは日本人の持っている普通の心だから、そこをアピールしたかった・・・そうです。そしてその試みは大成功しました。なにしろ東京五輪2020が実現したのですからね。

さて、この「おもてなし」の心はいつごろから日本に根付いているのでしょうか?
聖徳太子の時代まで遡るのかも知れません。
「和を持って尊しとなす」という基本理念で作られた17か条の憲法があります。民主日本が誕生した時のことですが、たちまち利害関係が生まれて小さい集団の「和」が出来て、その小集団の争い事が耐えなくなりました。
そこで、大使は「そのような小さな和ではなく、もっと大きな和である」として、「大和」と書いてそれを、「これがヤマトの国柄である」としたのかどうか・・・
このころから無私無欲の「おもてなし」の心が芽生えたような気がします。

飛鳥時代が終わって奈良時代となり、やがて繁栄の平安時代で、このおもてなしの心が「遊女」を生み出します。
遊女とは「神仏の前で技芸を奉納する女性」から始まる貴族文化の中の芸能職であって、売春婦とは異なります。だいたい貨幣制度も無く、商取引の客観性も無い時代に「売春行為」が成立するわけがありませんよね。
歌や踊りを披露したり、客の話し相手になったりすることで疑似恋愛を演出し、やがて馴染みの間柄となった時点で床入りまで可能になるという段取りだったようですが、そこには遊女に気に入られなかったら不可能という現実もあったようですね。

しかしそこは男と女ですから、時代と共に乱れていくことは致し方ないこと。貧富差も大きく開いて平安末期についに内乱がはじまります。源氏の幕府が鎌倉に出来て、ストイックな時代になってから、この「おもてなし」の心は華道(池坊)に受け継がれていきます。

権力者の「葬式の演出」から始まる池坊の花の装飾は、死者の魂の生きる姿を、花を立てることによって表現します。だから「生け花」なのです。立花正風体は、室町時代の末期に完成の粋に達します。
死者のともらいにやってきた「利害ある客」をもてなす「緊張感を持った装飾」こそ、日本の「おもてなしの心」の真髄ではないでしょうか?

それからの時代、政治的「接待」と「おもてなしの心」は、日本文化の表裏をなしてきたように思います。生け花の持つおもてなしの心を、一杯のお茶で成し遂げようとした千利休です。政治的「接待」を意図する太閤秀吉と正面切っての争論は、今も日本史の語り草となっております。

このような歴史背景を持つ日本の心が、あの従軍慰安婦と言われる性奴隷などを生み出すことはあり得ないのです。
だいたい日本人は奴隷というのを知りません。ですから「性奴隷」という言葉が何を示しているのか理解できないはずです。

セックススレーブの直訳が性奴隷になるわけですが、日本人から見ると、それはアダルトビデオのタイトル的な淫靡なイメージの言葉のようには感じても、その本来の意味は解らないはずです。
アメリカ人がこの言葉から感じるイメージは、おそらく日本人がこの言葉から感じるイメージとは全く異なるのではないでしょうか?
それを知っていて仕掛けた韓国人が、まあ一番卑劣なんでしょうけど。

東京2020で日本にやってくる外国のお客様に、この「おもてなしの心」が、傍若無人な行為を拒絶する強さをもったものであることを感じてもらって、傍若無人な行為を屁とも思わない「あの国」との違いを理解してもらい、従軍慰安婦の嘘を見抜く力を養ってもらえればいいのですけど・・・・

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