2013年1月31日木曜日

主権回復の日は?小池百合子氏


1月28日、いよいよ国会が始まりました。先ずは安部首相の「所信表明演説」からはじまるわけです。
この日、着物に身を包んだ女性国会銀のなんと多かったことか。お正月とは言え、やはり「保守系の政権が出来たんだ」と実感する国会でした。

その女性議員で、自民党の広報担当である「小池百合子氏」が、この日の党役員会で、日本国家の「主権回復の日」がどうなっているのかと質問を出し、それを石破茂幹事長が受けて立つ場面があったとか。
小池氏は「政府主催の式典を開催することになっている。もう1月になっており、調整はどうなっているか」として「もっと開催に向けた調整を急ぐよう」求めたそうです。
対する石破幹事長は「党と政府の間で調整したい」と述べたとか。

この「主権回復の日」とは、サンフランシスコ講和条約が発効した昭和27年4月28日のことであり、日本が独立を成し遂げた日のこと。即ち太平洋戦争が完全に終了した年ということです。
保守論壇の重鎮「井尻千男氏」が熱心に説く「主権回復記念日」が、この4月28日であり、5月3日の憲法記念日が「国辱の日」であるとする根拠でもあります。

日本が進駐軍の管理下に置かれ、国内政治は主権を奪われ、日本が日本でなくなった7年間。その間に国際法で禁じられている「法改正」、それも憲法の改正をしたアメリカ合衆国。国際法の眼をくぐるように、あたかも日本国民が望んでやったように見せかけるために策定された憲法記念日。
戦中から戦後、そして今日までの歴史を見てきた保守系の老人は、その意味を良く理解しています。
マスコミと日教組によって作られてきた「戦後日本の欺瞞」には、耐えられない憤りがあり、それがこの「cに対する熱意となって現れているのですね。

そういえば、あの「故・三島由紀夫氏」も、この戦後日本の欺瞞性に耐えられなかった文壇の天才だったのでしょう。彼は、自らの命を使ってまで、その間違いを正そうとしたのです。
それでも経済にしか眼が行かなかった日本国民は、それからもせっせとお金を稼ぎ続けたのです。
そしてそれから61年。マスコミとか日教組の欺瞞がやっとはっきりと見えてきました。民主党というサヨク政党が政権を担った3年半。その期間に国民が見せられた戦後日本の欺瞞性。

そして、国際的に認められる歴史に残された明確な記録、「ヴェノナ文書」「ミトロヒン文書」などが公開されて、日本が受けた戦後の謀略がはっきりとしてきたことも最近のことでした。
「東京裁判史観」などという言葉も、このような背景から戦後の欺瞞を明確化する言葉として使われるようになってきました。

「東京裁判史観」を日本国民に「刷り込み続けていた」マスコミの力が衰退し、日教組の横暴が暴かれ、教科書の記述も真実に近づこうとしています。
特に、インターネットを駆使できる若者から、その「気付き」は始まっています。彼らは、日本のマスコミも、自分たちの教師が所属する日教組のことも、実にクールに知っています。

欺瞞に満ちた教育を受け育った団塊の世代も、もはや中期高齢者となり、その影響を受けて育った「高度成長世代」、そしてその後に生まれた若者は「不況世代」とでも言いましょうか。
いずれも親の世代に反発すれば「真性保守派」にならざるを得ない世代です。
保守派のデモに参加する若い女性達。それに対してサヨク運動のデモのいかに年寄りの多いことか・・・

世代の交代が起きています。そしてあの太平洋戦争の記憶は歴史の1頁となり、新たに判った資料のもと、日本軍国主義の見直しが始まっております。
なぜアメリカと戦う嵌めになったのか、八路軍(毛沢東軍)の謀略、東南アジアの独立と日本将兵の関係などに関する書籍も多く出版されてきました。
若い世代は、インターネットを介してこれらの情報と向き合います。もはやマスコミと日教組が謀略を駆使しても、それ自体が生徒から見て「漫画」になりつつあるのです。

この新しい風、それを感じた衆議院議員「小池百合子氏」の「主権回復記念日の制定」に対して、さて現在の段階で国民の何割が賛成するでしょうか?

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