2020年10月31日土曜日

大阪市廃止の市民投票

 何だか意味の分からない「大阪市を廃止し、大阪府に一本化して既得権を組み替える」という発想のもとに大阪市民を対象にした投票を11月1日に行うそうです。

大阪市民には「二重行政を止めて合理化する」というようなもっともらしい表題が付けられていますが、ようするに政令指定都市である大阪市のお金を大阪府がとってしまおうという構想のようです。なぜそのようなことをするのか意味が解りません。

この構想の内容がチラシなどで表示されていますが、そこに書かれていることはどう見てもいい加減で、良くなるような書き方をしてありますが、その根拠は薄弱です。
大阪市民は、このプロパガンダの様な話で大阪市を捨ててしまうのでしょうか?

大阪の友人に聞いたところ「大きな声では言えないが、背後には『同和』問題が潜んでいるのだろう」と言うことでした。
同和問題についてはあまり詳しいことは知りませんが、江戸時代の士農工商の次にある穢多・非人(エタ・ヒニン)という制度の、穢多の部落から始まったようです。

明治時代に入って来た朝鮮移民たちが、同じように部落を作っていたようで、日本の敗戦とともに部落問題=同和問題として「差別問題」にすり替えられていったようです。

もともと江戸時代の士農工商は身分制度ではなく「職能制度」に過ぎなかったはずです。穢多とは、もともと平家の落ち武者が人里離れた山間部に部落を作り生活していた時、一般農家との取引で動物の死体(馬でも牛での生き物であり必ず死にますからね)を引き取って処理していたことから、身体に死臭(腐敗臭)が沁みつき、一般生活の場から隔離されていたのでしょう。
仏教の死生観から差別が生じていたものだと思います。

「非人」の方はちょっと違っていて、死刑になる罪人の首をはねる侍(首切り役人)が「私は非人である」としてその職務を果たしていて、終われば元の侍に戻るということ、あるいは政府批判をする知識階級の人が「私は猿(非人)である」などと言いながらしゃべっていたとか言われています。
それを「歌舞く」と言って、歌舞伎の基になっています。
「非人」は目的が終われば元の自分に戻ります。ですから一生非人と言うことではなかったようです。

動物の死体解体や皮のなめしなどは河原で行います。また人を集めて政府批判や音曲などを行うのも河原が広くて便利です。そこでこのような人達をまとめて河原者と言っていたようです。

京都などでは今も肉屋とか革製品加工業などを差別する傾向があるように聞きます。ですが蚕などから絹糸を紡ぎ染色するのは差別していないようです。結構いい加減な差別ですね。

さて、この部落に明治以降入ってきたのが朝鮮移民たち。大東亜戦争敗戦後、共産主義者とともに「差別問題」として使われ始めたわけです。
その後、「反共産主義体質」の日本国民の中で、戦後生まれの教育現場から、これを差別問題として日本国民に刷り込み始めたわけです。

こうして我が国の左傾化が始まり、日本の文化破壊が始まります。
その一つがこの「大阪市廃止」という構想のように思います。言い方は「大阪都構想」などというマヤカシのスローガンを掲げています。そして多くの大阪市民たちは「良くなるなら・・」と騙されています。藤井聡京都大学教授だけが、この企みを知っているらしく「大反対」をしておりますが、果たしてこの声はどこまで大阪市民に届いているでしょうか?

この大阪市廃止の裏側には、ディープステートの姿が見え隠れします。それが「橋下徹氏」や「デービット・アトキンソン氏」の話す内容から感じ取れます。
この構想に反対するように、「大阪市を無くして4つの政令市にすると218億円分の行政サービスの低下が起きる」と言っておいて、次に行政コストが218億円もかかると言い直し、そして最後に「誤った考えに基づいた試算だった」と大阪市財政局に謝罪させるというやり方、いかにもディープステート的なやり方です。

非効率の極限にあった大阪市の市庁。それは同和が絡んだサヨク的なものだったのでしょう。そこに乗り込んで効率化し、改革に挑んだのが橋下徹氏でした。
それを見た大阪市民は拍手喝采だったようですが、その最終目的がこの大阪市廃止の構想にあったと言う訳でしょうか?

それは大阪に外資を導入して利益を上げる事。つまり大阪を食い物にする構想であるように思います。大阪に入った外資は小売業などで莫大な利益を上げますが、それは大阪には投資されず、外国人投資家に吸収されると言う構図で、大阪のコミュニティだけが破壊されます。

この事実を隠すために出している「大阪市を廃止し、複数の「特別区」に分割すると同時に、それまで大阪市が所持していた財源・行政権のうち広域的な役割を果たすための事業に充当するものを大阪府に譲渡し、残された財源・行政権を複数の『特別区』に分割する」という、やる必要のない構想なんでしょう。

この構想の市民投票は2015年5月に一度行われ、否決されています。それをまた焼き直して再度住民投票にかけることなど、まったく「奴らの仕業」としか言いようがありません。
焼きなました構想は。本質を隠し、いかにも住民サービスが向上するかのような書き方です。

大阪市民が11月1日に騙されるのか、それとも見透かして否決するのか・・・
まもなく判りますね。

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