2019年11月27日水曜日

国家主義と憂国忌

11月25日は三島由紀夫氏が自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決されてから、「憂国忌」の日として受け継がれております。

大正末期の15年1月生まれの三島氏は、終戦の昭和20年8月15日の敗戦の時はちょうど20歳でした。
おそらく同世代の友人が大東亜戦争で散華されたことでしょう。そして彼は日本文学の世界で才能を発揮します。

『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『憂國』『豊饒の海』などの小説と、『近代能楽集』『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』などの戯曲を書いております。
修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体は、「本物の日本語を学びたければ三島を読め」と言われるほど美しく、近年多くの小説がフランス語に翻訳され、フランスの書店に並べられているそうです。

しかしアメリカナイズされていく日本の現状と、日本国の為に死んでいった友人と、そして自らの美的追及心などから、2・26事件の将校を題材にした「憂國」で、切腹のシーンを強烈なタッチで書き記し、それから9年後に市ヶ谷の駐屯地で割腹自決を遂げております。

最期の叫びは、自衛官達に対して「この憲法に身体をぶつけて行こうと言うやつはいないのか!」と言うものでした。
当然この憲法がアメリカ製であることを知っていた三島氏が、それと戦うこと、つまり精神的にもアメリカに負けることに我慢が出来なかった心情が吐露されています。

もはや有名になった三島氏の言葉(産経新聞への寄稿文)、「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」が、現在の我が日本を的確に示し、さらにこの経済大国もすでに終焉している現実があり、その日本も、今や隣国中共に乗っ取られかねないていたらくなのです。

「これでいいとする人達とは口をきく気にもなれない」という心情、そしてそれが自衛隊での割腹自決に繋がっているのではないでしょうか。

敗戦後に日本にやって来たアメリカは、ディープステートでした。つまり共産主義者であり、日本に共産革命を起こさせることを企んでいたようです。
ただマッカーサーは軍人でしたからそこまでは判らなかったようで、ただ自分をフィリピンから追い出した日本軍に対する復讐心だけがあったようです。

こんな環境の中で、数週間で作られた「日本国憲法」であることは間違いが無く、日本の歴史や国家観は無視され、国連憲章などから寄せ集められた文章で構築されているわけです。
日本側は「天皇」が守られただけで、それ以上は手が出せませんでした。

ディープステートがユダヤ金融(ロスチャイルドなど)の別称であることを考えると、戦後の日本の経済発展は彼等の支援があって実現したようにも思えます。
ソビエト連邦の共産化が、ディープステートの思惑とは違う展開をしてしまったために、日本を防共の砦としてその発展を推し進め、そして日本が稼ぎ出した金と技術を中共に回していったのではないでしょうか。
その時のスローガンが「グローバル経済」でした。しかし中共にも中華思想という砦を築かれてしまい、アメリカ国内からも「国家主義」であるトランプ大統領が現れます。

このような世界の裏を三島氏が知っていたのかどうかは判りませんが、戦っていた相手はいわゆるディープステートだったのでしょう。
彼らが日本のアメリカナイズを進めていったのだと思います。それが「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国」だったのではないでしょうか。

ディープステートに反旗を翻したトランプ大統領は、今もウクライナ問題などでディープステートに訴えられそうですが、敵の牙城である「国連」で「未来はグローバリストのものではない。愛国者のものだ」と演説しました。当然このくらいの報復はあるでしょうね。

三島氏は皇国主義者ですが、これは日本の歴史が皇室を軸にして、そこに日本の美意識が結集しているからでしょう。ですから終戦時、天皇陛下の人間宣言(世俗への降下)は三島氏にとっては「昭和の陛下の裏切り」であったようです。
三島氏の国家観は皇室を軸にした国家であり、「愛国心」という言葉に対しては「自分がのがれようもなく国の内部に居て、国の一員であるにもかかわらず、その国というものを向こう側に対象に置いて、わざわざそれを愛するというのが、わざとらしくて嫌いである」と述べています。

愛国心は英語でパトリオティズムです。三島氏は「われわれはとにかく日本に恋している。これは日本人が日本に対する基本的な心情の在り方である」と述べています。
ここで恋という言葉がどういう意味で使われていたのかは判りません。

もしトランプ大統領と三島由紀夫氏が話をしたら、だいぶ異なる国家観になるような気もしますが、少なくともグローバリズムには反対するでしょうね。

そんなことを考えた、今年の憂国忌でした。

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