2015年1月19日月曜日

中共の地図に「尖閣は日本領」

株)PHP研究所という出版社が出している「Voice」の2015年2月号に、近現代史研究家の水間政憲(みずままさのり)氏の記事で、「領土問題『動かぬ証拠』」と題した記事が出ています。

副題として「中共政府は、1969年まで尖閣諸島を日本領土と認めていた」と言うものです。

水間氏は、1969年に中華人民共和国国家測絵総局が発行した「中華人民共和国分省地図:福建省・台湾省」を探し当てました。そしてそこには東シナ海にある尖閣諸島を「尖閣群島」と表示し、「魚釣島」という名前が印刷されています。
尖閣群島は日本名であって中共はこの名前を使っていません。魚釣島も日本名であって、中共は最近になって「釣魚台」と命名しています。
ですから、1969年に発行されたこの地図では、この島々を日本領土と認めていたことになります。

この地図は、1969年当時中共に出向いた日本国民の誰かが当地で買い求めた地図のようです。そしてこの地図を持って尖閣諸島・魚釣島などが日本領土であることを中華人民共和国が認めていたことになるわけです。

1969年は、アジア極東経済委員会(ECAFE)が尖閣海域海底に推定約1095億バレルの石油と天然ガスが埋蔵されている可能性があるとの発表を行った年です。
その直前に出版された地図には「尖閣諸島・魚釣島」が日本領として掲載され、その直後の地図からは尖閣諸島の記述はなくなり、釣魚台となったことなどを水間氏は指摘し、当初の領有権主張は石油掘削圏を奪取しようとして始まったと述べております。

ただ、沖縄の日本への返還は1972年ですから、この時点での尖閣諸島は沖縄の一部としてアメリカの施政権下にあり、領土保全はアメリカ軍の掌中にあったことも確かです。
石油資源の可能性が出て来ると、今度はまず台湾が尖閣海域を台湾領土との声明を出します。(蒋介石の1970年の声明)

ここで初めて尖閣諸島の領有に関して中国側の主張が出たわけで、清国の時代には全く尖閣海域の話は出てきておりません。
尖閣諸島を日本領土に編入したのは、日清戦争の真っただ中の1895年のことです。その前の10年間、日本は尖閣諸島の領有を調査しています。その上で当時の国際法上にある「無主地先占」によって編入したのであって、中共が現在言っているような「日清戦争のどさくさで日本に編入した」のではありません。

さらに日清戦争終結の下関条約でも、遼東半島、台湾、澎湖諸島(台湾の西側50kmにある島嶼群)は議題として扱われたものの、尖閣諸島については日本領と明確だったために議題にはならなかったそうです。

さて、尖閣領有を蒋介石が主張したことを受けて、アメリカの石油メジャー「パシフィック・ガルフ社」は台北政府(蒋介石)から尖閣海域の試掘権を付与されます。
これに対して日本政府は愛知揆一外務大臣を介して、この試掘権付与は無効であることを言明します。(1970年8月10日)

これらのやり取りを見ていた中華人民共和国は、1970年10月になって人民日報に変な記事を掲載したそうです。
つまり、人民日報の1953年1月の記事に「アメリカの占領に反対する琉球列島人民の闘争」と言う記事があって、尖閣諸島を琉球諸島に含ませていますから、これですと沖縄が中共の領土にならないと尖閣諸島は中共の領土(領海)にはならないことになります。

ニクソン大統領がキッシンジャー氏とともに突然中共を訪問したのが1972年2月のこと。つまりこの時点で中共は、沖縄がアメリカから中共に返還される予定だと思っていたようです。
しかしアメリカは沖縄を日本へ返還してしまいました。1972年5月のことです。

ニクソン政権の巧みな外交ですね。ウォール街(キッシンジャー)の希望通り中共との雪解けを演じながらも、中共を太平洋に出てこないように日本によって封印したわけです。ですから沖縄の施政権は日本に返還しても、米軍駐留はそのままにしたわけです。
この時のニクソン大統領は、ベトナムからの名誉ある撤退と、その後のソビエト牽制という戦略がメインだったはずですから、それほど中共を気にはしていなかったのでしょう。
米中が国交を正式に回復したのは、1979年1月(カーター大統領とトウ小平氏の時代)です。

ニクソン大統領にやられたことを感じた周恩来首相が、1972年9月に田中角栄首相を日本から呼び、日中国交正常化を行ったのはこのような背景があったからではないでしょうか。
沖縄返還を果たした佐藤栄作首相が1972年7月に退陣し、国民の人気が抜群だった田中角栄首相の登場した直後の出来事でした。
そしてこの時トウ小平氏は、ありもしない尖閣海域の領有権問題を田中首相に話しています。つまりニクソン政権が行った封じ込めに穴を開けたかったわけです。
ニクソン大統領が田中角栄首相に激怒したのは、こういう理由だったと思われますね。もちろん日本が現在尖閣領有で苦しい立場にあることも、ここが元になっているように思います。

中共の持っている太平洋への野望と、そして尖閣海域にある石油利権。それがどのように推移してきたか、それを知るためには、このVoice2015年2月号は、読む価値のある雑誌ですね。

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