2015年1月18日日曜日

大学での軍事研究・解禁か?

昨年の8月、防衛省は大学や民間研究機関などと連携して最新の軍事技術開発を行うための基金制度を創設する方向であることを発表しました。
国際間の競争が高まる最新の軍事技術開発には、大学の研究能力を活用することが必要とのことで、平成27年度予算概算要求で約20億円を計上し、今後規模をさらに拡大する方針だとのこと。

これに呼応するかのように、1月16日の産経に「東大が軍事研究解禁 軍民両用技術研究容認 政府方針に理解」という記事が掲載されました。
政府から毎年800億円規模の交付金を得ている東大が、安倍晋三政権の大学・軍事研究の有効活用を目指す国家安全保障戦略を閣議決定したことを受けての方針転換だと言うのです。

東京大学は、「軍事研究はもちろん、軍事研究として疑われるものも行わない」方針をこれまで取ってきました。しかしこれが昨年12月になって大学院の情報理工学系研究科のガイドラインを改訂し、「軍事・平和利用の両義性を深く意識し、研究を進める」と明記し、軍民両用(デュアルユース)技術研究を容認したのです。
「成果が非公開となる機密性の高い軍事研究は行わない」との歯止めも書かれましたが、これまでの「一切の例外なく、軍事研究を禁止する」からは大きく転換された改定でした。

このことが産経に記事として掲載されましたところ、今度は朝日新聞に同様のことが反対の立場から記事として書かれました。
つまり朝日新聞は「一部の報道機関が16日に『軍事研究を解禁』などと報道したが、東大は同日、『報道内容が間違っている』と否定した」とする記事です。もちろん一部の報道機関とは産経新聞のこと。

この記事は、「東京大学の広報課は『誤解を招いたようだが、軍事研究禁止の方針はこれまでと変わらず、一部でも認めない』と説明し、『今後は個別の研究を確認し、軍事目的の研究と判断すれば研究を認めない』としている。」と言うものです。(GHQの呪縛ですね)
もちろん東大大学院の情報理工学系研究科が昨年12月、「科学研究ガイドライン」を改訂したことは認めております。

朝日新聞が「虚偽の報道を平気でするサヨク新聞」であることは、すでに国民の知るところですが、東京大学も2派あって、「本郷の東大は比較的にまともだが、駒場は極めてサヨク系である」という噂もあります。
朝日新聞の記者が駒場東大の広報課に上記のようなコメントを出させたとも考えられるのではないでしょうか。

昨今の軍事研究は、民間の研究と区別などつけられません。炭素繊維の研究成果を、アメリカは軍用機に利用し日本ではゴルフクラブシャフトに利用したことなど、枚挙に暇がありません。
インターネットのハッキング行為を防止する研究を、「軍事目的だ」と指摘すれば、それは軍事研究になってしまいます。
基礎研究とはこのようなものです。防衛省からの研究依頼であっても、それが軍事目的かどうかが明言されなければ、「軍事目的ではない」と判断することは可能です。

東京大学生産技術研究所で糸川英夫博士が続けていた「ペンシル型個体燃料ロケット」。その延長上にあるイプシロン固体燃料ロケットは、衛星を打ち上げれば「平和利用」でミサイル迎撃に使えば「軍事利用」となります。
ではイプシロン固形燃料ロケットは平和研究でしょうか軍事研究でしょうか・・・

工学的には、このようにもはや軍事と民生の区別など着かなくなっています。
技術の進歩は、兵器性能だけでなく地政学も変えていますし、経済戦略も安全保障に加わってきております。つまり最近の軍事研究は多様化が進んでいるということです。

「軍事研究だけを禁止する」ことが、いかに平和に対する危険を冗長するかを知らなければなりません。
ある研究が「軍事的に使われたらどうなるか」、それを解明するのは軍事研究となります。
軍事研究を阻害すれば、「軍事的に使われる」ことが解らないまま研究が進んでしまう事もあるでしょう。敵側がそれに気が付いて研究をすれば、我が国は思わぬ脅威に晒されることになります。

大学の図書検索システムから「軍事関係」を検索したところ、まったく反応がありませんでした。しかし検索項目には「軍事」というものがありましたから、将来は復活することが想定されているわけですね。
「軍事研究だけ禁止」ということがいかに矛盾を含んでいるものか、一部サヨクを除いて一般には理解されていると言う事でしょう。

サヨクの巣窟「駒場東大」の広報課あたりが、教条主義的に「軍事研究禁止の方針はこれまでと変わらず、一部でも認めない」などと叫んでも、現代の軍事研究がどのようなものになっているか、それすら判っていないことを露呈しているだけです。
介護ロボットのソフトウエアの研究は、無人機のソフト開発にも使えるはずです。「何の研究か?」と問えば軍事以外を答えるだけでしょう。
いかに権力を持っても、サヨクの教条主義はすでに織り込まれていて、このような無益な論争が繰り返されているだけです。

だからこそ「軍事研究の解禁」をしてしまった方がいいと思うのです。
それとも、「軍事研究は禁止」ということで、サヨクに見つからないように研究を続ける方が、「軍事機密」を守るために必要ということなのでしょうか。
秘密保持に疎い日本的性質をカバーするための「軍事研究の禁止」であるなら、それは意味があるかもしれませんけど・・・

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