2012年9月3日月曜日

根付くか、英国の仏教

英国と言えば、アーサー王の伝説から始まった国家。
紀元5世紀から6世紀ごろの人物と言われていますが、さまざまな議論があるようです。そして6世紀と言えばローマ帝国が崩壊した世紀でもあり、また、我が国では聖徳太子がシナへの朝貢(ちょうこう)を拒否し、日本という国家概念を確立した頃でもあります。

イエス・キリストが磔刑に処せられてから約600年が過ぎています。
迫害の300年が過ぎ、ローマはキリスト教を受け入れ、ローマ・カトリックが成立し、それであと300年続くのですが、それでも堕落が止まらず崩壊に至ったということ・・・

北方の蛮国ブリテン島では、各種民族が対立してまとまりがつきません。そこで崩壊したローマからキリスト教を受け入れて、イエスとその弟子達になぞらえた13名を、円いテーブルに着かせ、講和会議を行って英国の誕生となったとか。この円いテーブルに着いた騎士が「円卓の騎士」というわけですね。

こうして始まったキリスト教国家「英国」。その後アングロサクソンが乗っ取り、スコットランドやウェールズ、アイルランドを征服して、平等意識が薄れ民族差別的国家に堕落。 それでも円卓会議の呪縛からか、平等観念は、これら異民族の王家の婚姻による融和などを画策してきた、ちょっと心配な国家でもあります。

それからの英国の文化は、キリスト教以前のケルト文化とローマの文化が混合し、戦闘的でストイックな観念は、享楽的なローマ文化を嫌い、プロテスタントというキリスト教の新たな派閥を作り上げました。

その英国で、今「仏教」が浸透してきたとか。
それは、この数十年の現象で、最初は数件しかなかった仏教のお寺が、今では千を超える数になっているそうです。
そして信者総数は数十万人とも言われていますから、いったい英国は今後どうなって行くのだろうかと、かなり心配になってきます。

ことの起こりは1993年に浄土真宗が作った仏教団体「三輪精舎」。 彼らが、第二次大戦中にインド北東部インパール付近で戦った日英両国軍人の和解のために作った「日英戦士和解の会」のようです。

英国には、キリスト教が説く「万物の創造者」とか「唯一の神」を信じない人も多く、仏教哲学に共感するなど、ほかの宗教を受け入れやすい土壌もあったということです。
しかし、この流れで見ますと、この仏教は日本仏教。英国が君臨したインド仏教とは少し異なるような気がいたします。

キリスト教に対しても、ピュアを求めてカトリックを嫌い、プロテスタントを想起する英国「アングロサクソン」という民族です。
日本仏教よりもインド仏教がよりピュアな仏教と言うことで、やがてインドに傾斜するかも知れません。
もっとも、インドには「アングロサクソン統治」に対する嫌悪感もあるようで、「何がいまさら仏教だ」というインド国民からの侮蔑の声が聞こえてくるような気もいたしますけど。

日本仏教は、聖徳太子の時代に日本に入ってきたもの。それから「葬式仏教」として日本文化に定着していきましたが、日本に古来からある神道と折り合いを着けていることを理解しないと訳がわからなくなるかも知れませんね。

そして神道と言えば、その祭祀の長である天皇陛下を理解しないと、訳がわからないでしょう。
英国王室と親しいお付き合いをされている天皇陛下と御皇室ですが、最初の頃の英国が取った差別的扱いを、今上陛下がお忘れになっているとは思いません。
それでも、そのことを問題ともせず、その後のお付き合いを続けていることは、日英親善に大いに役立っております。

日本では酷評されるインパール作戦。「白骨街道」との異名をとるほど過酷で無謀な作戦でしたが、この作戦のおかげでインドが独立できたという感謝の念は、今もインド側にあるようです。
英国、日本、そしてインドと、仏教を挟んだ心情的和解は実現するのでしょうか?

経済的に追い込まれる英国。これからの伸びが期待できるインド。
英国は、いやアングロサクソンは、この仏教を通して、どのように変わっていくのでしょうか・・・

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