2012年8月3日金曜日

不愉快なサッカー、なでしこ・・・

オリンピックが真っ最中の暑い夏です。
いつもながらメダルがどうのと、マスコミはオリンピック一辺倒のようなありさま。消費税問題も、尖閣の危機も、そして同和問題から派生したという「いじめ」問題にも触れなくて住む期間とでも思っているような、新聞の書き方です。

それだけでも不愉快なのに、女子サッカーで佐々木監督が出した「引き分けを狙うように」とした指示の問題。
国際サッカー連盟(FIFA)は、このような指示を行った日本を規律委員会にかけないとの声明を出したそうですが、どうにも釈然としません。

先ず、そんな試合をされた南アフリカはどういう気持ちだったのでしょうか?
佐々木監督は2位通過して3日(日本時間4日未明)の準々決勝を英国のカーディフに残って戦う方が有利と判断したとか。

もしこの試合に勝っていたら、準々決勝会場は移動が1日がかりとなる英国北部のグラスゴーになるため、選手が疲れて不利になるとか。
「応援してくださる方にスペクタルな試合を見せないといけない、という意味では申し訳なかった。それを戦略としてやらせたのは僕の責任。次を勝って、準決勝に行くことに尽きる」と言うのが監督の弁です。
この判断はスポーツの目的にかなっているのでしょうか?

英国のオリンピック競技の振り分けにも問題があるのかも知れません。そうせざるを得ないような移動の問題があったことは事実でしょう。
しかし、そうであってもそれを理由に戦いをドローに持ち込むと言うのは、どうも納得がいきません。

戦争であれば、「重大な局面のために兵力を温存する」ことは必要でしょう。全体の戦略、即ち国家目的のための戦いですから、捨て駒になる部隊も発生します。
しかし、スポーツは戦争とは違います。戦闘のシミュレーションなのです。勝とうが負けようが、全力を出し切らないと、本当の勝敗は判りません。
全力を出し切るから、観戦していて面白いのですし、選手達に声援を送れるわけですし、そのチームワークに「日本」を表現できるのではないでしょうか?

もし、この試合に勝ってグラスゴー行きの移動で疲れ、その次の試合で負けたとしたら日本のサッカーファンは佐々木監督をなじったでしょうか?
たとえなじられたとしても、「私は半端な試合は出来なかった」として、堂々としていれば良いだけではないでしょうか?

オリンピックの試合は続きます。
これから準決勝、決勝と進んでいきますが、もし負けた場合は何と言い訳するのでしょうか?
またもし金メダルが取れたとしても、ドローに持ち込んだということが、これから汚点にならないのでしょうか?

日本は駆け引きの下手な国家であること、世界から見られています。しかしそれは「駆け引きが下手」なのではなくて「駆け引きが嫌い」な国民性があるからではないでしょうか。
だから「駆け引きだけが好き」な華人とはまったく肌合いが合わず、摩擦が大きくなっていることも確かですが・・・それが日本であり日本人だということです。

日本が世界の中でプレイすると言うことは、この日本をアピールすることです。そしてフェアな試合がいかに面白く、気持ちの良いものであるかを知らせることだと思っています。
スポーツだけではなく、他の武道や芸能も、そういう日本が表現されていないと評価は下がるのではないでしょうか?

敗戦後、このような考え方を排除しようと「アメリカの感性」とか「国際標準」などが積極的に取り込まれてきました。
しかし、その結果が今の日本の抱える問題の根本のようにも思えるのです。

日本の「美」は、このような「駆け引きしない」という感性から来ているように思います。それが「妥協をしない職人の技」となり、「技術立国・日本」が世界に認められたのではないでしょうか。

何年か前のオリンピックで、我が友人が私にこんなことを言いました。「日本の選手は大変なんだ。勝つだけでは日本のファンが承知しない。美しく勝たないと納得しないから・・」と。

また「日本のひとつ」が失われてしまった・・・そんな感じがする「なでしこジャパン」の試合。どうにも寂しいオリンピックに感じるのですけど。

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