2012年3月2日金曜日

南京虐殺事件、再び盛り上がって・・


河村たかし名古屋市長は、慎重に「南京事件は虚偽」という意味の発言をしたところ、それがネットに流れて、日本のマスコミが取り上げ、とうとう中共の国民の眼に触れてしまいました。

現実に当時の南京では、あの虐殺事件は無かったというのが真実。
銃撃戦の末、南京の城壁を乗り越えて日本軍が攻め込んだ時、蒋介石の国民党軍はもう居なかったはずです。
日本軍の勇猛果敢な実態は国民党軍にも知れ渡って、例のごとく尾ひれが付いて嘘も混じって、どうしようもない恐怖があったはずです。
その日本軍が南京を攻略しにくるのです。いくら蒋介石総統が「死守せよ」などと言っても、当人は逃げていますから兵士達は浮き足立っていることは確かでしょう。

日本軍は南門(中華門)と東南門(光華門)から攻めました。揚子江側の下関は間に合わずに日本軍がおりません。多くの人々が恐怖に駆られて下関に殺到、圧死者が多数出たとか。
混乱の中にあった南京城内。戦闘で倒れた兵士を、人々は見向きもしないで逃げ惑い、負傷兵は置き去りにされ、2日くらいで死んでいったようです。
ですから日本軍が城内(と言っても山手線一周くらいの広さはあります)に入った時は兵士の姿は無かったということです。

逃げ遅れた兵士は、そのまま軍服を脱いで私服に着替え、日本の兵士を狙います。にこにこ笑って日本兵とすれ違い、振り返って撃つというやり方で、どれだけの日本兵が犠牲になったことか。
このような着替えた兵隊を便衣兵と呼びますが、明らかなジュネーブ協定違反。そこで日本軍は、安全地帯(欧州各国の建物がある地帯)に逃げ込んだ便衣兵を捕まえ、銃殺しました。その数1万5千人くらい。

置き去りにされた負傷兵の遺体は、悪臭を放し衛生上よくありません。そこで日本軍はその遺体を焼却処理します。それを現地の中国人たちは、生きたまま焼いていると思ったのかも知れません。

しかし、ともかくこうして南京は落ち着きを取り戻したのです。

安全地帯に居留していたドイツの医者などが、怪我をして逃げ込んでくる中国人に医療を施していました。何者かに刺されたり切られたりした負傷者から、外でいかに日本軍が悪さをしているか、そういう話を聞かされます。どうやら日本軍の軍服を着た中国人に乱暴されているようですが、ドイツの医者たちは負傷者たちの話を信じたようです。しかし中国人たちが言うことを信じるべきでしょうか? 医者たちは安全地帯から一歩も外には出ていません。

日本の敗戦が決まり、戦後になって「東京裁判」というものが始まります。法による裁きで戦争を終結させようとするアメリカ。茶番だとは判っていても、そうせざるを得ない日本。また欧州もニュルンベルグで同じような裁判を行い、ナチスとヒットラー総統に全責任を覆いかぶせました。

同じように日本も軍部に責任を持っていこうと考えた連合軍。ところが、アメリカの行った東京大空襲、他の都市の大空襲、そして広島・長崎に落とした原子爆弾、これが非戦闘員を20万人も殺したことが日本側から取り上げられ、裁判は行き詰まりを見せ始めます。
真実などはどうでもよく、はやく戦犯を作って処刑し、戦後復興をアメリカ優位で行いたいのに、このままではアメリカが悪者になってしまう・・・

そこに助け舟を出したのが蒋介石総統。日本軍が南京で30万人の虐殺を行った、証拠の写真もあるぞ・・ということで捏造・改ざん・トリックの写真が提出されます。
安全地帯に居たドイツの医者たちも、負傷中国人たちの話を真実として証言します。
当時の南京で大将であった「松井石根氏」が呼び出され、裁判では日本軍による組織的な大虐殺に関しては否定したものの、当然ながらこの裁判では受け入れられず、BC級戦犯として処刑されました。

これが南京事件のあらましだと思いますが、どうやら中共の言う南京事件は意味がまったく違うようですね。
ようするに、平和を愛する純朴で文化を尊ぶ中華の土地と人民を、野蛮な日本軍の軍靴で踏み荒らしたという理由で怒っているようです。嘘を並べて・・・

その中共がどんな国であるかは、すこしづつ世界中に判ってきたように思うのですけどね。

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