2012年3月14日水曜日

大震災から1年、色あせた「絆」


「昨年の悲劇は日本を停滞から目覚めさせるのに失敗した」とは米紙ワシントン・ポスト紙の元記者、ポール・ブルスタイン氏の見た日本です。
「この国の見通しがほとんど変わらなかったとつくづく考えさせられる、なんとも気がめいる機会だ」と語り、この1年、日本は「もがいている」だけだったと感想を述べております。

このような感じをもたらす一番の原因は、何といっても「瓦礫受け入れ拒否」の県や自治体の動きにあるようです。
「私の住む近くの街では、放射性物質が検出されなくても、地元の農業や漁業従事者が『風評被害』に悩まされる、といって当局が受け入れを拒否した」と、彼が語るように、ありもしない放射能を理由にしたおぞましい風潮が起きていることでしょう。
とても日本人とは思えないこの現象の裏には、原発反対運動の無知で感情的な運動があるのではないでしょうか?
そしてその運動の裏には、日本を亡き者にしようとする、戦後サヨクの思惑が見え隠れしています。
そしてそのさらに裏には、中共の思惑も隠れていることが、次の事例からも見えてきます。

昨年の震災後、台湾の国民が史上空前の援助金(約200億円)を日本に送りました。このお金は政府の出したものではなく、国民たちの日本救済の思いから発した義捐金でした。
日本国民も感謝を表し、日台友好は草莽の活動で再確認されたものです。しかしそれから1年、3月11日の追悼式典では、台湾代表として出席した台北駐日経済文化代表処の羅坤燦(らこんさん)副代表が指名献花から外されるなど、常識を逸した嫌がらせとも見える冷遇があったようです。

また、約160の国と国際機関の代表に会場1階に来賓席を用意しておきながら、台湾代表である羅坤燦氏を「民間機関代表」と位置付けて、企業関係者と同一に扱ったということです。

この重大な失礼を告発したのは世耕弘成氏(自民)で、12日の国会・参議院の予算委員会の中でした。
「台湾の友情に応えるべきではないか。一人の日本人として台湾の皆さまにおわびしたい」と、民主党政権の対応を批判しましたが、中共に媚び諂っているのか、恐れおののいているのか知りませんが、現政権のどうしようもない体質が見て取れます。

この質問に対して、野田首相は「台湾の皆さまに温かい支援をいただいた。その気持ちを傷つけるようなことがあったら本当に申し訳ない。深く反省したい」と陳謝し、藤村修官房長官は「十分にマネジメントできていなかったことについてはおわびしたい」と述べたようですが、事、遅きに失したわけです。

民主党政権はこの大震災でどのような対応をしたのか、考えるとゾッとしますが、頑なに何もしなかったように思えて仕方ありません。
原発事故をクローズアップして風評被害を撒き散らし、少量の放射線をまるで疫病の黴菌のように扱ってきました。本当に注意しなければいけない口蹄疫の黴菌はほおって置いてね。

国民も過剰反応しました。反核団体の間違いだらけの危険表現によって振り回されて・・・
発電量の危機も、東京電力を犯罪企業扱いにしてさらに悪化させ、電気料金のアップという最悪の事態に持ち込んでおります。

大震災というショックが走ったとき、日本国民は果敢に民族の血を奮い立たせました。それに世界も驚嘆したわけです。
同胞の危機が眼に見える間は、全員協力して立ち向かいますが、時間が経って政治的な活動が必要になってくると、知らん顔をしはじめます。
そしてその後に最悪の我欲が出てきます。それが瓦礫受け入れの拒否。
風評被害に振舞わされるのは、知識を持ち合わせていないからか、それとも面白がっているのか判りませんが、少々ひどすぎるように感じます。

せっかく世界中が驚嘆した日本国民の力が、時間とともに軽蔑される国民へと変わってしまうのでしょうか?
残念でたまりません。

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