2011年7月26日火曜日

中共・高速鉄道の事故

どうやら新幹線の事故ではなかったようですが、どうも同じシステムが狂ったようにも思えますね。
落雷によって、システムが狂い後続列車へ信号が届かず、追突した・・とか報道されていましたが、同様の原因で自慢の新幹線も数日前に止まってしまうトラブルが出ていたのでは?
「どうして落雷でシステムが狂ったのか」「システムが狂った場合のフェイルセーフは準備されていないのか」など、まだまだ調査すべき事柄は多いはず。

しかし、事故の翌日は何事もなかったように、その高速鉄道は走っています。そして、落下した車両は解体し、そばに掘った穴に埋めているとか。
中共ならではの事故処理のようです。臭いものには蓋という感覚。
ネットでは、その車両にはまだ人が居るかもしれないとか、遺体が残っているのでは、などと書かれていますが、だからこそ早く処置をして、出来るならば「この事故は無かったことにしよう」というシナリオが動いているのではないでしょうか?
遺体が見つからないようにして行方不明で済ませばいいわけですね。事故の犠牲者ではないということで・・・
さぞかし菅首相はうらやましく見ていることでしょう。

高速鉄道など、高度技術を用いた移動体は事故が発生した時は徹底的に原因を究明しないと決して安全にはなりません。
航空機はその究明が一番難しいのですが、高速鉄道でも同じくらい難しいはず。しかし、それでも調査し、究明に至らなくとも判った事などを記録しておく必要があります。
同じ事故が再発した時、その記録が生きるからです。そして原因の究明が出来た時、安全技術が進展するわけです。尊い犠牲者にその旨報告がなされ、犠牲に対する詫びと感謝の気持ちが技術の発展に寄与するわけです。

中共の技術者が、「もう日本から学ぶものは無い」と話し、「日本の高速鉄道のスピードを越えた。世界一だ」などと喜んでも、安全が犠牲になっているならば無意味であることが理解されているのでしょうか?

昔、国鉄(現在はJR)の保線区の工事人が、酒が好きで呑んだくれて寝ていました。しかし深夜になって、遠くで走る夜汽車のレールの音に眼が覚めて、急に起きて服装を整え、工具を持って飛び出して行って線路の異常を修正した・・という話を聞いたことがあります。
こういう責任感をプロ意識というのです。誰にも気づかれず、翌日になって報告書が出され、始めてきわめて危険な状態にあったことがわかったということ。
事故は起きてしまったらダメなのであって、事前に感知し事前に手が打てて、始めて意味があります。
現在はさまざまなテレメーターが状態を中央管制室に送ってきて、保線の仕事がシステマチックに動いておりますが、それでも機械です。故障もあります。常に緊張感をもって安全を確保する必要があるわけですね。こういう仕事を保守技術と申します。運用技術ともいい、もっとも難しく、そしてお金も掛かります。(軍事とほとんど同じです。一種の安全保障ですからね)
どんなに最新の技術を駆使しても、最後は人間の五感、そして「研ぎ澄まされた意識」が必要なのですよ。

もしこのようなことを、中共の技術者が学んでいないとしたら、あるいは理解していても「組織的怠慢」があって生かせないとしたら、彼らが学んだのは「見てくれのモックアップだけ」ということになってしまいます。

今回の事故、原因究明を真摯に行い、是非とも安全な高速鉄道に成長させていただきたいですね。
決して「日本にもこういう事故があったから同じ・・」などと言い訳してはいけませんよ。

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