2019年6月25日火曜日

「見合い結婚」は死語か?

日本文化が死んでいくその根底に、家族制度の崩壊があるように思います。敗戦後GHQによって持ち込まれた徹底した個人主義は、自動的に日本のそれまでの家族主義を破壊していきました。

もちろん敗戦だけが理由ではなく、産業革命以後アメリカの生活である核家族化が日本に入ってきてその猛威が広がって行ったものと思われます。

大阪大名誉教授の加地伸行氏が産経のコラムで「誤った個人主義の弊害」という記事を書いておられますが、その言わんとするところは「誤った個人主義は利己主義」という事だと思います。
「集団生活の人類としては、一般生活においてこの利己主義を抑える必要があった。」として、狩猟系の民族は、「集団の安定には、利己主義は許されず、自律が求められ、そこから、後に自立する個人主義が生まれ、一般化されていった」と述べております。

そして農耕民族系は、「農業は集団作業であり、血縁で結ばれた共同体生活となる」として「利己主義は許されず、本家を中心とする親族会議が事(こと)を決してゆく」と述べて、個人主義と家族主義を別けられています。
家族といっても大家族制度で、農地に対する責任から「家」という概念が社会という概念になっていたと思います。

この概念ですと核家族は家族ではありません。個人主義で警鐘の概念が薄いからです。「家」とは継承が目的で、それは農地を守ることから発生していると思います。
そして「婚姻」はその家を守ることが第一義であり、個人の問題ではないとするのが常識になっていました。

「家」の中では本妻の権力は強く、女系社会が我が国の本来の姿だったようです。結婚した2人の愛称が悪くても本妻であれば権力は行使出来ます。亭主が外で愛人を作り子供が出来ても、本妻はその子を引き取り家の跡継ぎとして育てたりもしています。「婚姻」には相互相手の容姿は関係なく、それなりに日本社会はやさしい社会だったように思います。個人主義ではなかったからです。

この常識をGHQが変えたのです。「夫婦善哉」という番組の記憶が私にあります。ミヤコ蝶々の漫才コンビが司会をしていたと思いますが、一般の夫婦を呼んで話をする番組(今で言うと「新婚さんいらっしゃい」という番組と同系)で、その話の冒頭に必ず「恋愛結婚ですか見合い結婚ですか」というセリフがあったことを思い出します。
つまり、恋愛か見合いかで2つのやり方を対立概念に持って行ったわけです。

「見合い結婚」というのは個人の結婚ではなく「家」同士の結婚だったはずです。対する恋愛結婚というのは「ディズニーランド的結婚」と言うべきかも知れません。
おとぎ話の中の結婚であり、だいたいにおいて結婚成立でドラマは終わります。現実の生活はそこから始まるわけですから、夢から覚めた後の現実に耐えきれず「離婚」「子供虐待」「親殺し」などの悲劇が生まれているのではないか・・・そんなことも考えてしまいます。

個人主義を持ち込むとき、GHQは「個人が家族の犠牲になることは避ける」ような道筋を作りました。日本的大家族を崩壊させることが目的だったのでしょう。
加地伸行氏が言うように「個人主義」は「利己主義」にすぐになって行きます。それを承知でGHQの画策が行われたと思います。

なぜなら個人主義が利己主義にならないようにするためには、キリスト教が必要だったからです。日本をキリスト教国にすることはGHHQの基本的戦略だったのではないでしょうか。個人主義はキリスト教が背景にないとすぐに利己主義となり社会はダメになることを知っているからです。
何しろ皇室にキリスト教の布教活動を行ったくらいですからね。

しかし日本にキリスト教は浸透しませんでした。日本文化は日本語の中に溶け込み、キリスト教の布教を日本語で行うと日本教になってしまうからです。
そしてこの中途半端な状態でGHQによる日本の占領が終わってしまったわけです。その後の建て直しは「企業の家族的経営」が基本になっていました。

それが日本的産業主義を生み、アメリカの経済を圧迫し始め、再びアメリカは個人主義と株主資本主義を押し付けてきました。それによって日本企業の家族的経営を壊していったのです。

現在はその崩壊過程にあって、それが日本の危機を生み出しているように感じます。危機の中核にあるのがサヨク・マスコミの活動です。
その流れは皇室にまで及び、天皇の継承にまで口出しをし始めています。いわゆる「女系天皇容認」です。

このような風潮から我が国を守るには、「お見合い制度」を復活し、「家」同士の結婚を再認識する必要があるように思います。
つまり「本妻」の復活です。女性の社会進出は、企業で要職に就くことではなく、「本妻」という権力を女性が取り戻すことではないでしょうか。

敗戦後、我が国は企業の「家族的経営」を生み出しました。同じように新しい「本妻」の在り方を作り出していく・・・それが日本文化を守る力になるような、そんな気がするのですが・・・

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