2016年9月1日木曜日

嘘の映画、中共の映画戦略

ともかく日本を貶め、日本軍の中国侵略がいかに非人間的だったかを表現しようと、華人の残忍さを基準にしてそれを日本軍に置き換えた様々な映画が作られてきました。
若き英国人記者・ジョージホッグ氏が中国に入り、そこで日本軍の南京虐殺を見たという映画があります。

そのホッグ氏の行動を描いた著書の映画が「チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道」と言う映画なのです。

1937年、日中戦争が勃発した。上海租界に滞在していたイギリス人ジャーナリスト・ジョージ・ホッグは、日本軍が進撃した南京を取材するため、赤十字の人間と身分を偽って南京に潜入する。そこで大勢の市民を殺害する日本軍の姿(南京大虐殺)を目の当たりにしたホッグは、それをカメラに撮影するが、日本兵に見つかってしまう。
処刑寸前のところをジャックという中国共産党の軍人に助けられたホッグは、ジャックの友人である看護婦のリーの紹介で黄石の、とある施設に赴く。そこには60名もの中国人孤児がいた。
ホッグと子供たちはそこで一緒に過ごすうちに徐々に打ち解けていくが、やがて黄石にも日本軍が迫り、ホッグは子供たちを連れてシルクロードの遥か彼方700マイルの距離にある山丹へと逃れることを計画する。後にこの逃避行は「小さな長征」と呼ばれることになる。

というあらすじの映画は、次のようなもの。
https://www.youtube.com/watch?v=XZdn8Pg--T8

この映画は世界中でヒットしました。習近平国家主席は、昨年10月に訪英した時、「侵略者日本の残虐行為を暴いた」としてこの映画を称賛しました。

ところが、この映画の原作とされる「オーシャン・デビル」と言う著書を書いた英国人、タイムズ紙記者のジェームズ・マクマナス氏が「ホッグ氏の中国入りは1938年2月で、彼は南京に行っていない。映画は脚色され、事実ではない」と証言したのです。
つまり自分の書いた著書とは異なる映画であると言う訳です。

マクマナス氏の著書では、ホッグ氏は上海入りした後、湖北省黄石市に移り、孤児施設で教師を務めた。中国の国民党政府軍が孤児たちを徴兵しようとしたため1944年11月、孤児60人を連れてモンゴル国境に近い甘粛省山丹まで移動。戦火から子供たちを守ったことで「中国版シンドラー」と評されているそうです。
ホッグ氏は日本軍から孤児を守ったのではなく、蒋介石・国民党から守ったのです。
そして1945年7月に、ホッグ氏は破傷風で病死したとのことです。

在重慶英国領事館から英外務省に宛てた1946年1月の公文書によりますと、「ホッグ氏が校長を務めた山丹の学校教育が中国で最も素晴らしい教育の一つで、ホッグ氏が誠実に天職(教師)に尽くし、協同組合活動の指導者として修練を重ねる極めて良質な人物」と記していたそうです。

さてこの話から判ることは、中共がどうしても南京事件での日本軍の虐殺を事実化しようと映画戦略を使っていると言うことです。
この映画のトレーラーを見れば解りますが、007を監督したロジャー・スポティスウッド監督の映画ですから出来栄えはしっかりしていることでしょう。(お金もふんだんに使っています)

しかしどうやらシナリオの書き換えがなされたと見て良いでしょう。「嘘」などなんとも思わない華人と、真実の追及を重んじる英国ジャーナリストの戦いが始まっているようです。

もともとフィクションの世界が映画ですから捏造などは入りそうですが、事実を曲げたシナリオには原作者も我慢が出来なかったと言う事のようです。しかもこの映画はわざわざ「真実のストーリー」となっていますからね。
マクマナス氏は映画を見た後、ホッグ氏が中国に入ったのが1年違っていることに気付き、1937年の日本軍南京占領時にはホッグ氏は南京には居なかったはずだと思い、調べたそうです。

しかし南京の噂を聞いたようなホッグ氏の新聞記事があるのかと思い探したそうですがどこにもなく、その後書かれたホッグ氏の紀行文にも「日本軍の虐殺行為を暴いた」という彼の署名記事は見つからなかったと言うことです。

歴史戦であらゆる手段を使って「嘘」を広める中共。しかしそれを国際的な舞台に出せば出すほど「嘘」が暴かれて行きます。

映画という表舞台で世界に「嘘」をばら撒くことは、習近平氏が思っているほどやさしくはないようですね。

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