2014年6月19日木曜日

今国会で決まらず・・集団的自衛権解釈変更

公明党の不可解な引き伸ばし戦略によって、ついに集団的自衛権の解釈変更が先延ばしにされてしまいました。
公明党の井上義久幹事長は、「公明党内の議論に、なお時間がかかる」ことを理由に「今国会会期内の閣議決定は難しい」と述べ、石破幹事長が公明党の意見集約を待つ考えを示したからです。

公明党の意見集約とは、創価学会会員達の説得と言うことでしょうが、学会会員には解釈変更に反対の人達が多く、安倍政権の素早い立法、即ち国会運営に文句を言っている人たちも多いとか。
ですから公明党の意見集約が結果的に出来るのかどうかは疑問となるところ。次期国会までに意見集約が出来るのかも疑わしいものです。

ならばここは、はっきりと連立解散に向かって党内意見をまとめた方が良いのではないでしょうか。そうすれば現在活発に動いている保守系野党、「石原新党」とか「維新の会」、そして「みんなの党」などの、今後の動き方が変わって来るはずです。
そして民主党も、前原グループなどを中心に分裂しやすくなると思います。

次期国会がいつから始まるのか判りませんが、集団的自衛権容認に向けた臨時国会を開催し、意見を闘わせた後に採決を行い、もし容認が否決されたらすぐに衆議院を解散して国民に信を問うことが必要なのかも知れませんね。

創価学会が反日思想を持っているのは、戦後の創価学会の設立の歴史から読み解くことが可能です。即ちソビエトに亡命していた共産主義者達と似たような状況があったからです。

もともと創価学会は牧ロ常三郎氏の発想で始まったものであり、「人生の目的は価値創造にある」という理念のもと、神道の形式から始まったようです。
しかし1943年に、神社神道を批判したことから治安維持法違反並びに不敬罪の容疑で特別高等警察に捕まります。
その前に、牧口氏と戸田氏は日蓮正宗総本山大石寺に呼ばれております。ここでも大石寺の神札を受取らなかったために大石寺本山への登山を禁止されています。

牧口氏は1944年、終戦の前年に東京拘置所内の病監で栄養失調と老衰のため死去しました。残された戸田甚一氏は、獄中で日蓮宗に基礎を置くことを決意し、終戦で開放されると、教職員による集まりであった創価教育学会を創価学会に改め、広く一般人を受け入れて会員数を増大させました。戸田甚一氏は名前を戸田城聖に改めます。

戦前に日本の共産主義者が武装闘争までして日本の官権と戦い、特高から逃れてソビエトに亡命、徹底的に共産主義教育を受けて、連合軍から日本に呼び戻され要職に就いたこと・・とは少し違いますが、創価教育学会もまた、あの戦争のさなかに国家に反抗していたグループであることは確かです。

ソビエトに亡命していた日本人、あるいは朝鮮の抗日「光復軍」などをアメリカ軍が集めて、日本本土上陸戦闘に備え「反日闘争」の訓練をしていたことは確かですが、その前に陛下の「終戦の詔勅」が発せられ、戦闘が終了したため、彼らの活動の場は無くなります。

価値観の崩壊した日本。呆然となって、ただ食を求める日本国民に、要職に就いた共産主義者が、それまでの怨念を晴らすように襲い掛かります。教育界でもそうでした。
その後連合軍が自由主義と共産主義に分裂、アメリカは反共政策を取ったため、日本の共産主義者は再び追放されます。しかし教育界にはそれが残り日教組として日本破壊工作が侵攻します。

創価学会は、この時期は日本的救済を行っています。もちろん共産主義者も、表面上は日本再興に協力していました。
創価学会は、池田大作氏の手腕を持って会員数を増やし、やがて日本の政界に数の論理を持って影響力を発揮し始めます。
1958年、戸田城聖会長が死去すると、「学会葬」で司会を務めた池田大作氏が頭角を現します。会員数をさらに増やし(折伏大作戦)、芸能界へ進出、「公明党」を設立し、そして世界に打って出た池田会長は、その中で中共に接近していきます。

周恩来氏を始め、江沢民氏、胡錦濤氏、温家宝氏など、中共の要人との関係を作り、宗教を排撃する共産党政権にあって創価学会は中共から受け入れられます。
もしかしたらその背景には、隠された「反日思想」があったからかも知れませんね。反日思想を持った日本人であれば、中共にとって使い道はあるでしょうから。

その池田名誉会長も今年で86歳です。
いくら頑張ってもあと10年でしょう。池田氏亡き後の創価学会がどうなるか、そして「公明党」がどうなるか・・・
「戦後レジームからの脱却」を本格化させ、未来日本を確実なものにするためには、変なサヨクがのさばらないよう保守系の政党に頑張ってもらわなければなりません。

集団的自衛権容認に反対なら、それを持って連立解消・・・それが筋というものではないでしょうか。

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