2012年7月4日水曜日

オスプレイの沖縄配備は、福建省の中共軍事施設に対抗


中共は福建省の寧徳市霞浦県水門郷というところに軍事基地を建設しております。ほとんど完成して、空軍の基地であることがわかりました。

この軍事基地が、東シナ海を狙ったのもであることは明らかです。
台湾、そして尖閣諸島海域から沖縄の米軍基地までを視野に入れた軍事基地。もはや戦争は日本を挟んで米中対立にもなり始めています。

対抗策としてアメリカ軍は沖縄にオスプレイの配備を決定し、それを実行しました。
尖閣諸島を挟んで、福建省の中共の基地と、沖縄のアメリカ軍基地が対峙し、その航空能力において、オスプレイの配備でアメリカ軍優位となります。
中共空軍は、何とかこれを排除したいはず。それが沖縄のサヨク活動を使った「オスプレイ配備反対」の策謀でしょう。

森本敏防衛相は、沖縄を説得するまでオスプレイを岩国基地に配備してくれるようにアメリカ軍に申し入れたようで、まず岩国に揚げてから沖縄に配備される段取りです。

森本防衛相は、すぐに沖縄の説得を始めましたが、もちろん、そう簡単には納得するはずもなく。
防衛相と沖縄の仲井真弘多知事の会談後、それが不調に終わったことで、下地幹郎幹事長は「森本氏は安保論で必要性を述べれば理解してもらえるという、評論家の人生観で行動している。彼は墓穴を掘り、沖縄で信頼はなくなった」などと述べました。

ここで、沖縄の国民が、これをどう考えているのか、そこがはっきりとしません。
下地幹郎幹事長は、「沖縄での信頼はなくなった」と述べていますが、沖縄県民がすべて仲井知事に賛同しているとは思えません。
サヨクが掲げる妄想平和は、もはや日本の若者などには通用しませんし、その流れは沖縄にもあるはずですから。

中華思想で太平洋を狙う中共と、市場の奪取を狙って中国大陸に挑むアメリカ。これらはそれぞれの国家目標であり、双方の戦略の基礎にあるものです。
日本の戦略基礎は、まず日本国(大八洲[おおやしま])の安寧と、それから世界の安寧です。そこから日本の戦略が展開されなければなりません。
「世界の安寧」とは、すべての民族・国家がそれぞれの置かれた環境に準じて安寧に生活できることですから、中華思想という選民思想の差別主義は受け入れられません。そこには礼儀というものを統治に使う術はあっても、公共という概念が欠落しているようですから。
アメリカが掲げる市場奪取は、「市場」という概念、捉え方が異なる日本とはなかなか相容れないでしょう。市場と戦場を同じように捉える感覚ですからね。
しかし、こちらは差別主義を、少なくとも表面上からは取り去っていますので、中華思想よりも相溶性はいいでしょう。

ここから、(今までもそうですが)これからの日本の戦略が組みあがっていくはずです。
華人的なるものの排除は、歴史的に日本の国是です。公共という概念を持たない民族に対して、それを拒否してきた国家が日本ですから。
アメリカの公共の概念はキリスト教から派生しています。キリスト教徒の優越観念は、この公共の概念を理解しているかどうかであり、そこからクリスチャン同胞の信頼を醸成していくのです。
日本は、アメリカのキリスト教的な部分と共に、先ず中共を封印する必要があります。まさに東シナ海での中共の封鎖は地理的にも明確でもあります。

ここを沖縄県民がどう捉えているか、そこが良くわからないのです。
報道がサヨクで売国のスタンスからなされていることもあって、また多くの本土からやってきたサヨクによって蹂躙されていることを考慮し、それらを除外した時、本当の沖縄の意思がどこにあるのか、それが判らないということです。

沖縄の人で、中共に馴染める人がいるのでしょうか? 助け合いの心情は琉球の人にもあり、それを共同体として確立していたからこそ、琉球の独立が維持されてきたはずです。
今でも強い同胞愛が残っている沖縄。それゆえに本土との摩擦もあるようですね。そこを本土から来たサヨクに使われてしまったことが、今の沖縄を歪めた原因ではないでしょうか?

沖縄の人たちには、まずその同胞愛から発する「公共の概念」を明確にしてほしいですね。
「助け合う心」を、もう少し客体化して、公共に殉じるという精神性にまとめて欲しいと思うのですが・・・その究極が軍事なのではないでしょうか。

同盟関係とは、共通の公共に殉じるもの。オスプレイ拒否の理由が、「不安定で墜落する危険」だそうですが、もし災害救助で使われるならそんなことは言ってはいられないはずですね。
この配備を阻止したいのは、沖縄ではなく「中共側だ」ということなのにね。

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