2015年9月24日木曜日

「東京裁判」検証のための新組織

自民党の稲田政調会長が、靖国神社での戦没者追悼集会の席上、極東国際軍事裁判(東京裁判)を検証する組織を党内に設置する意向を示しました。

「東京裁判で裁かれた日本の歴史をきちんと自分たち自身で総括する。何を未来に生かしていくかを政治家自身が踏まえる」と言うのがその主旨ということです。

稲田議員は、東京裁判について「事後法(での裁き)だ。法律的には問題がある」との認識を示した上で、しかし日本は「判決は受け入れている」とも述べました。
それを前提にしても、「(歴史を)自分たちで検証する態度を持つべきだ」と言うことです。

産経新聞社が後援する「『東京裁判』論の新たな地平・戦後日本と日本人の精神」と言うシンポジウムが、昨年11月に国士舘大学で開催され、そこで池田十吾・国士舘大教授は「戦前の日本の行為は侵略的で全て悪だという一方的な判決だった。教育界でも東京裁判史観に立つ日教組が勢力となり、日本の伝統や誇りを傷つけた」と東京裁判を批判しました。

このシンポジウムには米国の日本研究者も数名参加し、ケビン・ドーク米ジョージタウン大教授は、「東京裁判の議論は全人類のためになるようなものにしたい」と述べました。
また、マイク・モチヅキ米ジョージ・ワシントン大准教授はA級戦犯の合祀について、「賛成できない。合祀さえなければ大きな国際問題に発展しなかった」などと述べております。

山本武利・早稲田大名誉教授は、「知人の中国人がGHQの検閲について『現在の中国よりもひどい』などと述べていた」ことが紹介されていました。

東京裁判の主宰者は、まちがいなく連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーでした。
そしてこの裁判が法に基づく裁判ではなく、多くの兵士や民間人が殺された戦争をともかく決着させるための「手打ち式」であったことは疑いようもありません。

連合軍側は、日本が大東亜戦争に突き進んだ原因を、連合国側が仕掛けた「ABCD包囲網という経済制裁」にあるのではなく、何とか日本が満州事変前後から「共同謀議」を重ね、他国を侵略し「平和に対する罪」を犯した(日本の侵略戦争だった)という構図を描こうとしていたのだそうです。

そのために、関東軍高級参謀だった板垣征四郎元陸相らが起訴されたわけですが、当時、事実上関東軍を指揮し、満州(中国東北部)の張学良軍と戦っていたのは「石原莞爾」中将でした。
「満州事変」を日本の侵略の起点としたい連合国側は、すぐに石原莞爾中将を尋問しようとしましたが、石原は山形県酒田市の北20キロの農場で病気療養中であったため、異例の出張尋問となったそうです。

ニュージーランド人のノースクロフト判事をはじめ検事、弁護人、通訳、内外の新聞記者ら100人近くが東京から夜行列車で酒田市に乗り込んだのです。
こうして極東国際軍事裁判(東京裁判)の臨時法廷が、山形県酒田市の商工会議所で開かれました。

ここにリヤカーに乗って現れた石原中将は、冒頭発言で裁判官らの意表をつくのです。
「満州事変の中心はすべて自分である。自分を戦犯として連行しないのは腑(ふ)に落ちない」・・・

そして石原莞爾と東条英機の共同謀議を立証しようとしていた連合国側は、実は石原と東条が犬猿の仲であったことを知ります。
さらに当時の満州について、「一触即発、あたかも噴火山上にあるままに放置されていた」と、極めて不安定な状態にあったことが証言され、連合国側が描いていたシナリオの「張学良が中国国民党の軍門に下り、平穏裏に中国の支配下にあった満州を、日本が武力で侵犯した」ということが、全く虚偽であることを発言し、米国人ダニガン検事の尋問を論破してしまったのです。

板垣征四郎元陸相や土肥原賢二特務機関長といった軍中央の指示で動いていたようにしたかったダニガン検事は、満州事変の決着から日中戦争勃発までの4年間を埋めることが出来ず、しかも日中戦争の拡大には中国側の責任や偶発的な面も強く、そして当時の軍の要人たちが「明確に侵略的な思想を持っていた」ことも証明できなかったわけです。

つまり、連合国側は「『共同謀議』による一連の『犯罪』という結論」を出すことが出来ず、日本側の抗議やあらゆる証拠を抹殺することによって、やっと昭和23年11月12日、A級戦犯として起訴した25人全員を有罪、うち東条、板垣、土肥原ら7人を絞首刑としたわけです。

こんな状態ですから、裁判で判事をつとめたラダビノード・パール氏が長大な意見書を書き、「全員無罪」を主張したわけですね。
また後日、昭和26年(1951年)5月に、マッカーサー自身も米上院の軍事外交合同委員会で、日本の戦争目的を「主として自衛のためであった」と述べ、東京裁判を貫いた「日本の侵略戦争説」を事実上撤回しています。

しかし連合国側は、抹殺した事実が表面化することを防止し、「日本軍国主義=悪者」説を定着させるために、WGIPなどを実施、日本国民を洗脳していったのです。
この洗脳こそが、今日の「戦争反対」サヨク運動に繋がり、先日の国会前の意味不明「戦争法案反対デモ」に変遷していったわけですね。

東京裁判で抹殺されてきた「真実」は、冷戦時代のアメリカにとって隠すことが有利でした。しかし、ソビエト崩壊で冷戦が終焉し、新たな脅威としての「中共の膨張」が始まると、そうでもなくなります。
また、テロとの戦争でも、日本との同盟を維持するしかなくなったアメリカにとって、次第に「東京裁判史観」が邪魔になってくるはずです。
これを元にして作った「日本国憲法」ですら、アメリカにとって邪魔な存在になりつつあると思います。

「東京裁判」の検証は、新しい時代に突入するための、避けて通れない関門なのではないでしょうか。

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