2015年9月13日日曜日

いよいよ大詰め、安全保障関連法案

自民党と公明党は、安全保障関連法案を来週中に参院本会議で採決、可決させる方針を確認したようです。また、野党は内閣不信任案提出などで徹底抗戦するそうです。
今度も衆議院と同じく、荒れる参議院になりそうですね。

自民党の溝手顕正参院議員会長や伊達忠一参院幹事長、吉田博美参院国対委員長は18日の参院本会議での採決を主張していますが、野党は内閣不信任案や首相問責決議案などを連発するそうですから、まだ予断は出来ません。

維新の党は自民、公明両党と安全保障関連法案の対案に関する修正協議を行ったそうですが、話し合いは平行線に終わり、修正合意には至りませんでした。
維新の松野頼久代表は内閣不信任決議案を提出する意向を表明しております。

この維新が提出したのは「武力攻撃危機事態の新設」ということで、集団的自衛権行使をもう一歩進める法案修正のようですが、「他国の領土、領空、領海を守るために、日本が自衛権を発動することは否定。日本の防衛に協力してくれる他国軍をサポートする」と強調しており、これでは集団的自衛権が自国の時の為だけになってしまい、日本の国際信用が落ちてしまいますね。
松野代表は「われわれの案が全く入れられない場合、違憲の法案を強行採決で国会を通過させるということだから当然不信任に値する」などと語っておりました。

今回の安全保障関連法案はあまり安全保障に貢献しているとは言いがたいものです。それでも今までよりも少しは良くなるわけで、根本的には憲法改正するしかないと言うことです。
安倍首相は任期中に憲法改正までを視野に入れているようですが、そのためには今後暴徒と化すであろうサヨクの一掃を進めなければなりません。

一部野党や、マスコミ、民青に操られたシールズなどが8月30日に国会前で行ったデモは、全く「安保法案の中身」を知らないで行っているようでした。
「戦争法案反対」だとか「安倍はやめろ」などの議論にならない主張を繰り返していましたが、このデモについて石原元都知事は、「やがて雲散霧消する集団でしかないね」と述べ、「非常に全く無意味な感じだ。なんの力もない。デモそのものは空気の結晶だ」と指摘、主催者が参加者を12万人と発表したことについては「嘘だ。勘定したらいい」と述べました。(警察発表は3万3千人でしたね)

このように、嘘と恫喝で動き回る日本のサヨクですが、安倍政権が進める「戦後レジームからの脱却」が進めば進むほど、その存在が灰汁のように浮び上がってきます。
まだ居たのかと思わせる「民青」の活動が、新たな若者を組み込んでシールズなどというカタカナ名称になっていることも判りました。
あとは彼らの資金源を調査していけば良いわけです。

また、多くのサヨクが沖縄に集結していると言う噂もあります。米軍基地反対闘争で、先頭に立っているのが翁長県知事のようです。
普天間基地の辺野古移転に何で反対するのか判りませんが、その背後には中共の影がちらついています。何故なら中共にとっては、沖縄の米軍基地は太平洋覇権にとっての最も厄介な障害であるからです。

サヨクはまだ世界共産主義革命を信じているようで、世界が共産主義になれば国境は無くなり平和が訪れるなどと思っているのかも知れません。
生命の進化が単細胞から多細胞化することだったように、国境こそ人類の発展の元であることを知らないのでしょうか。
この様なスタンスで安保法案反対を叫べば、中共に付け入れられることは当たり前でしょう。向うは「あの馬鹿どもを使え」と思っているだけだと言うことも、当たり前ですね。

「戦争反対」というスローガンに対して、「誰でも戦争には反対だよね」という意見があります。その通りかもしれません。しかし、自国の領土、生活の場に理不尽な侵略が行われ、自分の身内が殺されても、「戦争反対」などと言っていられるでしょうか。
「殺すより殺された方が良い」などという発想は自己生存の否定であり、決して良心に基づく正義の発想ではありません。

良心に基づく正義とは、実践する正義(力を持つ正義)のことであり、それを道義と呼ぶようです。
「道義国家を目指す」とは稲田朋美議員の言葉ですが、敗戦後70年、日本国民が意図的に伏せてきた言葉でもあります。ではなぜ伏せてきたか・・・

日本は太平洋に於いてアメリカと死に物狂いで戦いました。しかし、終戦と同時にアメリカの自由資本主義との連帯を表明します。共産主義を避け、アメリカと組んだわけです。
それはキリスト教の持つ正義に掛けたわけですね。結果は思った通りで、すぐに共産主義と決別し、そして対立構造が生まれました。キリスト教ではすぐに対決姿勢になってしまうわけです。それをよく知っていた日本。敗戦後の立ち直りの為には、道義を伏してキリスト教の正義に準じたわけです。
しかし日本も70年のキリスト教の影響下で唯物論(物質偏重、個人主義、快楽主義)が蔓延してしまいました。(キリスト教下ではクリスチャン以外は唯物論に陥るようですね)

道義国家を目指すには「不正を糺すための力」が必要です。ただしキリスト教国のように相手を徹底的に追い詰めるための力ではなく、気付かせるまでの押えなのです。そしておそらく日本が持つべき軍事力は、そういう目的のための軍事力になるでしょう。
荒れる心の暴徒には武力で対決するしかありません。相手に「どうやっても勝てない」と悟らせてから平和交渉に持ち込めば良いのです。絶対的な対立を生むキリスト教の正義とは異なるものですね。

これから日本は「道義に基づく平和を構築するための戦える国家」になるでしょう。ほおっておいてもそうなると思います。
道義を厚くし、思想を固くして、その上で築く平和でなければ長続きはしないと思うからです。

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