2019年12月18日水曜日

男女格差とは何か?

12月17日、スイスのシンクタンク、世界経済フォーラム(WEF)が行った世界153カ国を対象に男女格差を測る「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は121位だったそうです。

このダボス会議で有名なWEFは、毎年治、経済、健康、教育の4分野から各国の男女格差の状況を調べ、順位を発表しているそうです。

しかし何のためにやっているのかは知りません。政治の分野で女性が一度も首相に就任していないとか、国会議員に占める女性の割合が日本は約10%と世界で最も低いとか、経済の分野でも、管理職や経営者の女性が少ないなどが評価基準になっていると言います。

これが何か意味のある指標なのどうか、それは隠されています。おそらく「男女格差が低いほど文明国である」と言いたいようですが、根拠はまったく無いと思います。
日本の歴史を見れば判るように、日本では政治に女性が関与した歴史上の事実はたくさんありますし、その結果国民がどうなったかについては様々です。

キリスト教文明の国では女性差別がひどく、「魔女狩り」などという歴史的事実もあるわけですから、その事実に対する懺悔の意味での「ジェンダー・ギャップ指数」と見れば意味がすこしは解りますけど。
キリスト教国でない日本にそんなものを当てはめないで欲しいですね。

江戸時代の商家では、外部から来た正妻が実権を握り亭主は飾り物だったこともありました。制裁に子供が出来ず、亭主がどこかの女と作った幼児を、正妻の権限で「跡継ぎにする」と言えばそうなったケースもあったように聞いています。

廓に売られた女性でも、賢ければそれなりに人生を切り開いています。もちろん「夜鷹(乞食売春婦)」に落ちていく女も居たのは確かですが。
ようするに実力の時代だったんですね。今と同じように・・・
しかし実力の時代であっても「人情」というものがあって、日本社会はギスギスした社会ではなかったような、そんな気がします。

現在の日本社会は能力主義とか個人主義などと言われ、日本人が最も得意とする「能力のない者が集まって力を発揮」出来なくなってしまったようですね。
それが「ジェンダー・ギャップ排除」の目的のような気がします。
キリスト教文明が日本文明よりも上であるかのような印象を作り出し、自分達の価値観で作った「ジェンダー・ギャップ指数」などを振り回していることを日本国民は認識すべきでしょう。

万世一系・天皇の国である日本は、太古の昔から男女の性差が「生産の基礎」であることを基準にしてきました。
ユダヤ教の聖書(旧約聖書)にも「産めよ増えよ大地を覆え」などという神の言葉が書かれていますから、昔から東西を問わず同じ価値観だったように思います。

先日行われた大嘗祭の神殿も、その細部には男女の区別をしたデザインが取り入れられています。デザインと言っても歴代伝えられて来たデザインです。
この宮などの作り方は、できるだけ自然のままの木材の状態で建て上げる点です。釘は使いません。ですからツーバイフォー建築の大工さんには出来ません。すべて組木で行います。つまり穴をあけそこに木を通すなどの組木です。つまり結合部は男女の交合いと言う形式になります。

もしかしたら神道とは、このような哲学を基礎にしているないかとも感じます。
神社で見かける紙垂(しで)飾りが、どうしても稲妻を元にした形状に見えますが、稲妻は稲の妻と書きます。
大地が女とすれば稲妻は男です。この交合いが多い年は豊作という経験値があってデザインされた紙垂なのではないでしょうか。
「大気中の電荷が放電すれば、窒素ガスが出来て、それが雨と共に土に混ざれば大地には窒素肥料となり豊作につながる」とは科学という方便を通した説明です。現実主義では行為と結果が重視され、このように神道に影響したのかも知れないと思うのです。

このように男女の交合いと「生産性」が結びついた日本の文化に対して、男女差別がどうこう言われても、少なくとも日本文化には受け入れられないはずです。
「男性は男性らしく、女性は女性らしくあれ」という文化の中で、男女同質を「文化のバレメーター」にする愚かさをもっと強調すべきです。

その上で、ゲイとかバイセクシャルの差別を無くそうと言うなら判りますが、女性の首相が居ないとか、女性の管理職が少ないなどの計数で序列を作って何になるのか・・と思います。
文化と言うものを認識できない輩の、ゲスな評価としか見えないのですけど・・・

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