2017年6月13日火曜日

反レイシズムと言論弾圧

一橋大学でARICという団体が執拗な嫌がらせで百田尚樹氏の講演を中止させたことが、反レイシズムとして認められるのか、それとも言論弾圧に当たるのか、このような問題が提起されております。

ARICは「在日コリアンをはじめとしたヘイトスピーチ・レイシズムの被害について調査・研究を行い、差別の実態から必要な解決策を議論・提案し、情報発信する」という団体だそうです。
http://antiracism-info.com/about

レイシズムとは、人種差別撤廃条約で出てきた言葉で「racist(レイシスト)」から派生した言葉のようです。
この条約では、「人種、皮膚の色、世系又は民族的、若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するもの」と定義しておりますが、「締約国が市民と市民でない者との間に設ける区別、排除、制限又は優先については、適用しない。国籍の有無による区別は人種差別にはあたらない」となっております。

百田氏は、ARICのデータベースには19項目掲載されていると述べております。その中には「悲しいことだが、すでに戦後の自虐史観の洗脳を受けてしまった人の洗脳を解くのは無理。これはもうほとんど不可能…(涙) 私に出来ることがあるとすれば、まだ洗脳を受けていない若い人々を、洗脳から守るということ」と述べたことがヘイトスピーチとして掲載されているそうです。

また、「特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、ドヤ顔で述べる人がいるのに呆れる。逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。戦争否定のためには、彼らをバカとののしれと言うのか。そんなことできるか!」というツイッターの記事も掲載されているとか。

この文章のどこが「公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有する」のか、よく判りません。
むしろこのような文章をヘイトスピーチとして弾劾する方が「言論弾圧」に当たるように思います。

また、百田氏はARICが今回の講演中止に追いやった手口として、「脅し」すれすれの言葉を使っていたと述べております。
「われわれと別の団体の男が講演会で暴れるかもしれないと言っている。負傷者が出たらどうするんだ?」という言い回しですが、これは「わしは何もしないけど、うちの若い者の中には血の気の多い奴もいるのでな」という、やくざ映画などで親分が暴力をほのめかした恐喝に使う言葉と酷似していると言うことです。

また、「百田尚樹の講演を聞いて、ショックを受けて自殺するかもしれない。その時は実行委員会としてどう責任を取るつもりなのか?」という外国籍のある女子学生の発言もあったと述べております。
百田氏は、「悪質なクレーマーのセリフ以外の何物でもなく、手慣れた『プロの活動家』のやり口だ」と、このARICのやり方を非難しています。

我が国におけるヘイトスピーチ規制法は、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」という呼称で自民と公明党が提出し国会を通過しました。
しかしこの法律そのものには罰則はありません。書かれている目的は「国民の努力義務」です。

この法案を楯にとって、データーベースとして一般に晒し者にするような、ARICのやり方には賛同いたしかねます。

北朝鮮の、故)金正日元主席は「朝鮮民族」に誇りを持つことを信条としていました。ですから韓国を「南朝鮮」としか呼称しなかったのです。
彼の犯した拉致などの犯罪は弾劾しますが、朝鮮民族に誇りを持つことには賛同できます。

例えば、「白人」とか「日本人」という言葉は差別ではなく、「黒人」とか「朝鮮人」と言う言葉は差別用語なのでしょうか。
これは使われた時・場所・場合によってヘイトになるかも知れませんが、単語としては差別用語ではないはずです。

黒人差別に悩むのは、その「劣等感」にも原因があるように思うのです。故)マイケル・ジャクソン氏がその成功で莫大な利益を出し、黒人から白人になる高額な手術を受けたことは有名です。
そこにどんな意味があるのかは判りませんが、劣等感から抜け出すのは、才能に恵まれ莫大な資産を手に入れたとしても不可能だったようです。

百田氏などの発言をヘイトと感じて非難するARICは、その感覚のどこかに「強い劣等感」があるように感じます。
そしていくらヘイトだの差別などと言って発言者を晒してみても、その劣等感から抜け出すことは出来ないのではないでしょうか。

一橋大学には、このARICをどう扱うのか、学問の府として考えていただきたいものです。

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