2015年3月19日木曜日

「侵略戦争」に定義付けはない

3月9日に、「『安倍談話』について検討する懇談会」の座長代理を務める、政策研究大学院大学学長の北岡伸一氏が、「私は安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」などと述べたことに対し、埼玉大学名誉教授・長谷川三千子氏が「大変な問題発言である」とクレームを付けました。

その根拠は、「侵略戦争」という概念そのものが、今に至るまできちんとした定義づけがなされたためしはない」ということです。
さらに、「日本が侵略戦争をしたのか否かという話は歴史学者にまかせて、政治の場に持ち込んではならない」とも述べております。

長谷川教授は、「アグレッションと言う言葉が国際法の舞台に登場してきたのは、第一次大戦後のベルサイユ条約においてです。そしてこれを日本語では『侵略』と訳されましたが、本来は単なる普通の武力攻撃を意味している言葉です。」と、まずは言葉の説明をしております。

その上で、「ベルサイユ条約で、『戦争責任(ウォー・ギルト)』条項として知られる231条に『連合国政府はドイツおよびその同盟国の侵略により強いられた戦争の結果、連合国政府および国民が被ったあらゆる損失と損害を生ぜしめたことに対するドイツおよびその同盟国の責任を確認し、ドイツはこれを認める』となって、ドイツには連合国の戦費すべてを負担する全額賠償という巨額の賠償が負わされたのです。(ここで初めて)『アグレッション』という語を、重大な罪を意味する言葉『侵略』へと読みかえてしまったのです。」と述べております。

そしてこうなってしまった理由を、「戦争の原因をもっぱら敗戦国だけに負わせる概念として登場したのがこの『侵略』という言葉だったのです。こんな言葉を使ったら、歴史認識などというものが正しく語れるはずはありません。」と語っております。

確かに、この侵略概念の基で、ドイツ国民が自尊心を傷付けられました。しかしその後の恐慌と、ドイツの通貨大発行があって、ヒットラー総統の登場となったことは誰でも知っていることです。
ヒットラー総統は、お金に生産という背景を与え、ドイツ経済を短期間で復興させ、世界が大恐慌に苦しんでいるときに「ゲルマンの栄光」としてドイツ人を鼓舞しました。ドイツ経済はバブル経済となり、ゆえに結果的に再び第二次世界大戦へと突き進んでいったことは世界が認めるところですね。

このことから、第二次世界大戦が終結した後、その反省から、ロンドン会議で「侵略」の定義を行おうとしました。
これについて長谷川教授は、「米国代表のジャクソン判事は、『侵略』を客観的に定義づけようとして、枢軸国のみを断罪しようとするソ連と激しく対立します。最終的にはその定義づけは断念され、侵略戦争の開始、遂行を犯罪行為とする、ということのみが定められてしまったのです。しかも、それは枢軸国の側のみに適用されるということになったのです。そしてその後も、この定義を明確化する国際的合意は成り立っていません。」として「侵略」が今も明確に定義づけられていないことを挙げておられます。

長谷川教授は、「『侵略』という言葉は、戦争の勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負わせる罪のレッテルとして登場し、今もその本質は変わっていないというわけなのです。この概念が今のまま通用しているかぎり、国際社会では、どんな無法な行為をしても、その戦争に勝って相手に『侵略』のレッテルを貼ってしまえばこちらのものだ、という思想が許容されることになるといえるでしょう。」と語っております。

そしてこのような侵略の概念では、「国際社会において、『法の支配』ではなく『力の支配』を肯定し、国家の敵対関係をいつまでも継続させてしまいます。」と述べ、「安倍晋三首相の談話のうちにこの様な言葉を持ち込めば、正しい歴史認識の上に立って、平和な未来を築いてゆく『未来志向』を、著しく歪(ゆが)めてしまいます。」と北岡氏に反論したのです。

平成7年に発表された村山談話の問題個所は、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」と言う個所と、「あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」の部分、そして「深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、」の、深い反省という部分ではないでしょうか。

大日本帝国が軍事行動(アグレッション)を起こしたのは、植民地支配をしていた欧米列強に対してであり、多大な損害と苦痛は欧米列強に与えたものです。
「深い反省」とは、官僚主義に陥った帝国軍が、ゆえに戦争に負けてしまったことへの反省であると思います。

また、「独善的なナショナリズムを排し、・・・平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。」とは隣国中共に対して言うべき言葉であることは、現在なら誰の目からも明らかです。

戦後70年の安倍談話は、この戦後50年の村山談話の間違いを訂正し、正確に書き直すだけで良いように思うのですが・・・

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