2013年4月10日水曜日

マーガレットサッチャー元英国首相、死去・・享年87歳


英国・「鉄の女」の異名をとった英国の元首相、マーガレット・サッチャー氏が4月8日午前、脳卒中で倒れられ、そのまま亡くなられました。

英国病と言われた経済低迷の英国。生産性の悪化とインフレが続いていた1979年、「英経済の復活」と「小さな政府」の実現を公約に掲げて登場したマーガレットサッチャー氏は、英国初の女性首相として、それからの11年間、英国を治めることになります。

いわゆるサヨクの福祉政策を否定し、国営産業と国営企業を民営化するとともに、「揺りかごから墓場まで」の福祉国家体制をも大きく削減して国家財政の立て直しを計った首相です。
「あなたは子供からミルクを取り上げるのですか!」という野党の追及に、「子供にミルクを飲ませるのは母親の役目、国家の役目ではない」と切り捨てたことは有名ですね。

美人であり、かつ国際政治に疎いと見られたサッチャー首相は、英領フォークランド諸島を奪取することを悲願とするアルゼンチンにとって、またとないチャンスと見たようでした。
1982年に軍を英領フォークランド諸島に侵攻させたのです。英国議会が戦争を避けようと動き出したとき、サッチャー首相が「ここには男は私一人だけなのか!」と叫んで英国艦隊の派遣を決定し、2ヶ月半の戦闘で255人の戦死者を出しながらも、ついにアルゼンチン軍を駆逐しました。
この時、ホバリング可能な戦闘機の「ハリアー」が圧倒的な強さを見せ、世界の空軍を驚かせました。

この戦争の勝利が英国に自身を取り戻させたのか、それからサッチャー政権の基盤が固まったのです。

産業の復活を目指し、日本に視察に訪れたサッチャー首相は、「日本は機械のように働く奴隷労働者によって経済的繁栄をしているのではない。日本の工場に居るのは成功なロボットたちであって、そのロボット技術こそが繁栄の原因なのだ」として、それまでの欧州の日本に対する誤った考え方をただしました。
そして「日産」「ソニー」などの当時の日本の優良企業を英国に誘致し、英国の産業を復活させようと果敢に挑んだのです。

その反面、アメリカのレーガン大統領と組み、ソビエトとの冷戦終結にも挑みます。
ハリウッドのスターだったレーガン大統領は、映画のシナリオのような計画を打ち出します。SDI(戦略防衛構想)と言うその構想は、宇宙を利用した核ミサイルの防衛構想で、核のバランスを崩し自由主義社会の勝利のもとに冷戦を終結しようと言うものでした。だからこの構想を「スター・ウォーズ計画」とマスコミが呼んだわけです。

技術的には不可能なものも含まれていましたが、サッチャー・レーガン体制は「出来ません」を許さず、実現にお金がどのくらい必要かを答えさせたのです。
技術的協力要請は日本にも来ます。中曽根首相は快諾します。
膨大な予算が積みあがりました。それを持ってソビエトとの交渉が始まります。ソビエトの首相はゴルバチョフ氏でした。ばかばかしいとも思える構想と莫大な費用、そしてサッチャーとレーガンは「我々はやる。軍事バランスを保持するためにはソビエトもやらねばならないだろう」と迫ったのです。

国家経済が破綻寸前だったソビエトには、とても対処する軍事開発費など出てきません。ゴルビーは悩みます。
こんな映画チックな構想など実現出来るはずは無い。しかし日本というテクノ・ホリックも参加するとなると、この構想に近いものは出来るかも知れない・・・

ゴルビー・ソビエトは「ともかく経済を立て直さないと、冷戦の敗者になってしまう」という結論に達したようで、ペレストロイカが打ち出されるわけです。
そしてこのペレストロイカが共産主義社会に最初に開いたアリの一穴であったことは疑う余地はないでしょう。

東西冷戦構造はこうして終結を迎え、東西ドイツを隔てていた壁が壊され、ついにソビエト連邦は崩壊したのです。

強い意志と決断が、政治の基本であることをサッチャー首相は世界中の政治家に教えたのです。おそらく安倍首相もその一人ではないでしょうか?
これを「サッチャリズム」と呼んだのはマスコミです。

経済政策の方は、今ひとつパッとしなかったかも知れません。(新古典派経済学は駄目なのかも)
人頭税の導入で失敗したサッチャー首相は、11年の政権実績を残し、1990年11月28日、ダウニング街10番地に別れを告げます。

サヨク政治が国力の低下と国民のあきらめを冗長するのは、英国でも日本でも同じようですね。マーガレットサッチャー氏は、そのことを世界中の人々に見せ付けました。
サヨクの中核であったソビエトを葬り去ることで・・・

そのサッチャー氏に感謝し、そして心からご冥福をお祈りいたします。

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