2019年5月1日水曜日

いよいよ令和元年がスタート

天皇陛下の譲位が行われました。今日から「令和」元年です。
渋谷のハチ公前のスクランブル交差点では雨の中にも関わらず多くの人達が去り行く「平成」と、やってくる「令和」のカウントダウンをしておりましたが、若い人たちは元号の存続に賛成で、だいたい「反対」なのは団塊世代のサヨク系だけのようです。

すでに団塊サヨクとかサヨク老人と呼ばれている、敗戦後の東京裁判史観を刷り込まれっぱなしの国民が「元号」反対に走っているようです。
さらにこの世代が「天皇制反対」などを叫び、連合軍の口車に乗って日本国家を貶めることに躍起となっている世代です。

もちろん団塊世代が皆そうだと言う訳ではありません。例えば沖縄で「基地反対闘争、辺野古新基地反対」などにうつつを抜かしている人達とその仲間たち(マスコミなど)ですね。
そして彼らは中共の日本侵略の手先の様に使われます。

JR新宿駅東口前の広場でも天皇制に反対するアピール行動をある市民団体が行っていました。そこに「菊水国防連合」という右翼団体が押しかけ小競り合いとなり、警備に当たっていた機動隊員らに対し暴行を加えたため、菊水国防連合の前田健一幹部(38歳)が逮捕されたそうです。

産経に、「令和」という元号を万葉集から考案したとされる「中西進氏(89歳)」のインタビュー記事が載っておりました。
中西氏は、「元号は文化であり、新しい時代の目標となる価値観」「根幹にあるのは(日本のこれからの)文化目標」であると述べております。

元号「令和」の元となった万葉集の内容は、大伴旅人(おおとものたびと)が自宅で開いた歌会で「梅花の歌三十二首」の序文からとられたそうで、「新春の好(よ)き月に、空気は美しく風はやわらいでいる。梅は白く咲き、蘭が香る。明け方の峰に雲が行き来し、松は雲の薄絹をまとって蓋(きぬがさ)をさしかけたようだ」という文章(中西氏訳)が基だそうです。

また、令和の「和」には604年の聖徳太子の十七条憲法の平和精神・「大和の心」にも通じるものがあると言うことです。

最近は西暦が主流になり元号不要論も出てきている・・という点について、中西氏は次のように語っておられます。
「西暦は時間経過を示した数字にすぎない。これに比べると元号はおしゃれですよね。手紙を書くときに西暦よりも元号の方が美しいでしょう。」

確かに元号不要論を出す方々は、例えば共産主義者で「つるはしとハンマー」というイメージで労働者的発想ですから、「おしゃれ」などというブルジョア的なものには反対でしょう。そして世界とやり取りをしているビジネスマンにとっては西暦でないと相手に通じず、元号などない方が良いのかも知れません。経済合理性という点からはそうかも知れませんね。

しかしもともと「おしゃれ」は合理的なものではないのではないでしょうか。
「おしゃれ」がブルジョア的であるならば、すべて一色の軍服のようなファッションでいいということになります。元号不要論の裏側はこのような合理性だけを意識した発想があるのではないかと思います。
破けたジーンズも、ファッションであれば破けたところが丁寧に作られています。しかし合理的ではありませんね。

元号の改定は天皇陛下の交代であり、我が国では「御代替わり」と表現されております。おそらく神武天皇の時代から受け継がれてきたもので、儀式の形式などは時代によって変わって来たでしょうが、男系継承が続いてきております。

なぜ男系か、色々な議論がなされていますが・・天皇の祈りの相手は天照大神(太陽神)という女神です。ですから祈る側は男子でなければならないわけで、これは生産の概念から来ているのでしょう。(セクシャルな意味はまったくありません)
男なら誰でもいいとすると争いが絶えないので、「一系」としたのだと思います。

この御代替わりに対し、世界の主要国から平成天皇に対する謝意が届いております。
アメリカのトランプ大統領、ロシアのプーチン大統領、そして中共の習主席からもです。この世界で、日本と天皇陛下の御代が認められていることは、このようなことからもハッキリしています。

それから、天皇と皇室は制度ではありません。それは神武天皇がどうして(王様でなく)天皇なのか、それは瑞穂の生産と関係していると思います。
象徴でもなく、言いようもないものですが一種の自然信仰の責任者といったところでしょうか。

天皇のご存在理由は、なかなか世界に説明できませんね。
我が日本の、一種の「おしゃれ」というような説明の方が良いのかも知れません。

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