2011年8月20日土曜日

タイのタクシン派、そして反タクシン派

民主党の枝野官房長官は15日、汚職罪で実刑判決が確定したまま海外逃亡を続けていて、来日を希望しているタイのタクシン元首相の入国を特別に許可したことを明らかにしました。

これに対して反タクシン派の市民グループ約50人が、日本政府の査証(ビザ)発給に抗議し、18日にはバンコクの日本大使館前で抗議デモを行ったとか。

先の選挙では、タクシン氏の妹のインラック氏が選挙で首相に就任しています。
選挙戦を戦った相手はタイ民主党のアピシット・ウェーチャチーワ氏。タイ王室との関係は無いかも知れませんが、両親は医者で、アシビット氏は英国オックスフォード大学の卒業。
そしてインラック氏はアメリカのケンタッキー州立大学の卒業だそうです。関係ないかも知れませんが・・・
ですから、当然タクシン氏はやがて故郷のタイに戻れるのでは・・との憶測も出来ますが、そう単純には行かないようです。

タクシン氏へ入国を許可するビザを発給したのは、日本だけでなくドイツも同じ。
しかもドイツは、タイ王室の皇太子が使う専用機の差し押さえまで行っています。バンコクの有料道路建設を請け負ったドイツの建設会社への債務支払いを、タイ政府が「契約違反」を理由に拒否し続け、怒ったドイツはミュンヘン空港に駐機していたワチラロンコン皇太子の専用機(ボーイング737)を差し押さえたというわけ。
ドイツの裁判所は、保証金2000万ユーロ(約22億4000万円)をタイ政府が支払えば、専用機を返還すると発表し、皇太子は31日、保証金を自ら支払うとの声明を発表したようですが・・・

このようなトラブルを見ていますと、どうやらタイ王室とタクシン・チナワット氏の間に何か軋轢があるようにも見えます。
そこでタイ王室の過去を調べて見ました。

現在のタイ王室は、1782年にラーマ1世によって起こされたタイの王朝で、チャクリー王朝、またはバンコク王朝(首都がバンコクにあるため)などと呼ばれています。
そしてこの王朝の前の王朝の名前が「タークシン王朝」であり、末期にその王が乱心をきたして、現王朝の元になったラーマ1世に処刑されたとうことです。
タークシンとタクシンは、タイ語で書くと綴りが違い関係ないとのことですが、もともとタクシン氏は華僑の出です。子供の名前をつける時、タークシンと似た名前に変更したのはどうしてなのかという疑問も出てきますね。

タイにとって、タクシン氏は汚職の容疑がかかっている「おたずね者」。アピシット前首相は「タクシン氏は逃亡者であり、タイ当局がビサ発給に関与したのであれば問題だ」と述べております。
日本政府は「新政権は駐タイ日本大使にタクシン氏の入国許可を求めていたし、新政権との関係を重視し、タクシン氏に査証(ビザ)を発給した」ということです。

さて、タイ王国と日本の関係が良くなることはいいことですが、タイが対中包囲網に加わるのか、それとも中共との関係も重視していくのか・・・インラック新首相の判断が、とても気になりますね。

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