2020年5月14日木曜日

武漢コロナと日本文化

英国のジョンソン首相が激怒しています。もちろん中共・習政権に対してです。「絶対にこの報復はなされるだろう」と述べているようです。
それは、もし中共が正直に感染者数を公表していたら、各国の防疫体制はもっと厳しくやっただろう・・ということから怒りが強いわけです。

確かに欧米ではかなり被害が大きく、ジョンソン首相自身も感染して、「首相の死亡準備」までなされていたと言いますし、アメリカの死者数はベトナム戦争の死亡者を大きく上回りました。

これに対して日本の死亡者数は2桁ほど低く、もうそろそろ「自粛緩和」に向かうのではないかと希望が出てきています。

しかしドイツでは緩和した後、感染者が増え始めていて、再び警戒感が高まっているとか。東京都の「緩和」もどうなるか、ちょっと心配です。

日本の感染者数が欧米に比較して少ないのは、その文化にあると言います。欧米の挨拶は抱き合ったり頬ずりしたりキスをしたりします。初対面の人でも握手をしますから常に接触するわけです。武漢コロナウイルスにとっては最高の活躍が出来るわけです。

それに対して日本の挨拶は一定の距離を置いて頭を下げたり、笑顔で言葉による挨拶はしますが接触はなかなかしません。
挨拶の基本にソーシャル・ディスタンスが出来上がっていたわけです。

さらに家の中に入るときは履物を脱ぐ文化があります。これが武漢コロナにとっては家の中に入りにくい生活様式になっていて、なかなか日本人に感染が広がらないわけです。

食事の時も箸を使い、しかも大皿に盛られた料理では必ず菜箸を使って取り分けます。食事の前に手を洗う習慣は、現在でも飲食店で必ず「おしぼり」が出てくることから見ても日本の常識なのです。

欧米のようにパンを手でつかみ、ちぎって食べるような習慣は、欧米文化が入ってくるまではなかったことです。
「おにぎり」も、手で握るときには塩を使いますし、中心に梅干しを入れるのも殺菌効果があるからです。寿司の握りも、酢飯ですから殺菌作用があり、またワサビという殺菌効果のある薬味を使います。

さて、このような衛生的文化がいつごろから始まったかと言いますと、どうも縄文時代に遡るようです。
常に中国大陸や南北双方から流れる海流に乗ってやってくる移住者に晒されていた日本列島は、移住者が来るたびに疫病が発生し、多くの縄文人(日本人)が死亡していたようです。

疫病か繰り返されるごとに、だんだん日本人にその原因が見えてきます。触れ合ったら駄目だということが見えてくるわけです。
そこで自然と接触しない挨拶方法とか、食事のマナーが出来上がって来たようですね。住居には履物を脱いであがるとか、裸足の場合は「足を洗う」などの文化が根付いてきたのでしょう。

このような文化が日本中に広まるのは、神武天皇が日本統一を始めてからでしょうが、それでも外部からの侵入による疫病の流行は続き、今のような日本文化に洗練されてきたのだと思います。

神道には「身を清める」という発想がありますが、これなども縄文時代からの「言いつけ」だったのではないでしょうか。
日本神話に、イザナギとイザナミの男女神が日本列島を作り、多くのものを生み出して最後にイザナミが「火の神」を生んで火傷で死んで、イザナギが黄泉の国まで行って逢おうとすると、腐敗したイザナミの死体を見てしまい、その後逃げる時、悪霊達に追われますが、這う這うの体で逃げ切ります。そしてその後したことが、川で身を清めることだったわけです。

この身を清める時、天照大神とつきよみの神、そしてスサノオの尊が「禊」の過程で生まれるわけです。
この神話、神話の中に妙にリアリティのある話が入っていますね。火の神を生んだら火傷して死んだとか、黄泉の国で腐乱死体を見た・・など。縄文から続く感染病対策の寓話としてみれば、納得できるのではないでしょうか。

お宮参りでは神殿の前に「手洗い所」が必ずあって、手を洗いうがいをして身を清めてからお参りしますが、これは現在の武漢コロナ対策と全くおなじではないですか。
トイレのことを「お手洗い」と言うなども、日本文化が疫病対策に気を使った文化であることを示しているように思います。

神話から続く日本の疫病対策。欧米合理主義に負けてここまで堕落した日本人ですが、まだ神様たちは見捨ててはいないようですね。

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