明けましておめでとうございます。
激動の2016年が終わって、新たな激動の2017年が始まりました。
今年は日本国が世界に注目される年になりそうです。日本が意図しなくても世界の情勢がそうせざるを得なくなるからです。
アメリカは経済的に復活するでしょう。しかし内向きになることは避けられません。そこを突いて出て来るのは中共ですが、アメリカ経済の復活でますます中共経済は落ち込んでいくでしょう。
トランプ政権が狙うのは中共から共産主義を排除し、民主中国にすることです。その手始めはハゲタカのような企業群で中共の民間企業を押さえ、そして国有企業の民営化を迫る手口でしょう。
トランプ大統領はビジネス界から大統領になった人ですから、利益追求のためには国有企業ではダメだということを華人が納得する形でアピールするのではないでしょうか。
米中間の貿易協定が2国間で話し合われるでしょうが、もうアメリカは経済的に弱い国ではなくなっております。関税を掛けることを前提にかなり激しい交渉がなされるのではないでしょうか。
もちろん、この関税によってアメリカ国内への製造業の回帰を促す目論見もあるわけです。
さて、我が日本は先ずは現行憲法の破棄と我が国の文化に根差した憲法の起草がなされなければなりませんが、その為には我が国の「コア・バリュー(中核価値)」を明確にしておかなけれればならないはずです。
我が日本は「義」の国です。「義」とは「人として条理・道理にかなったことに従う」ということです。
家族などの集団にあっては「忠義」であり、対人関係にあっては「信義」であり、公にあっては「大義」というわけですが、まとめて「正義」ということになります。
「義」とは法律ではありません。法律の上に来るものとも言えるでしょう。ですから「悪い事でも法律には触れない」からやっていい・・などとはならないわけです。
ある場面において、何が「義」となるかは、その場に居る個人の判断に委ねられます。例え人を殺しても、「義」に准じた行為であれば許されるわけです。法律的には異なるでしょうが・・・
ですから異なる「義」がぶつかり合うときもあるわけで、それが決闘という形をとることもあるようです。忠義と忠義がぶつかれば集団の争い(戦争)も辞さないことになります。
ですから常に「義」のあり方を個々人で研究していなければなりません。それが伝統的な「修行」ということになります。日常生活の中でも「修行」は可能で、なにも仏教や剣術の修行だけが修行ではありません。
修行は、どのような場面に至っても常に正しい「義」の判断が出来るようにすることが目的です。私心を捨て公義に立っての判断ができれば良いわけですが、いつまでも「正義とは何か」と論じていても埒があきません。
また、例え正義であっても、暴論や暴力に負けてしまえば「義」を貫くことは出来ませんから、学問とそして武道の修練も必要になります。
そして学問や武道の修練を積み、正義を貫けるようになること、それを「道義」と表現するわけです。つまり「道義」とは「実践する正義」と考えることが出来るでしょう。
稲田朋美防衛相がよく「我が国は道義国家である」と述べておりますが、これは「国益の前にそれが『義』にかなっているかを判断する」ということであり、国益第一主義のトランプ氏とは多少異なっております。
このアメリカ合衆国第45代大統領に、安倍政権は「国益の前に『義』を通すこと」を説明出来るでしょうか。
トランプ氏はキリスト教のプロテスタント・カルヴァン派に属するそうです。長老派とも呼ばれるこの一派は、個人の労働による利益追求は神の認めるところだとも述べられます。(カルヴァン主義)
安倍政権とトランプ政権は同盟関係にあってもコアバリューは若干ちがうかも知れませんね。我が国が「義」に反すると考えた場合はトランプ政権とは異なる道を行くかも知れない・・・そんな覚悟を持つ必要もあるのではないでしょうか。
今年は「丁酉(ひのととり)」の年。火の鳥の年とも考えられます。つまり火のように熱い改革(再生)が行われる年。
我が国も、あの邪心に満ちたマッカーサー憲法を廃棄し、伝統の国是の基に新たな世界貢献を果たすことが出来るような、そんな年にしたいですね。
今年は日本国が世界に注目される年になりそうです。日本が意図しなくても世界の情勢がそうせざるを得なくなるからです。
アメリカは経済的に復活するでしょう。しかし内向きになることは避けられません。そこを突いて出て来るのは中共ですが、アメリカ経済の復活でますます中共経済は落ち込んでいくでしょう。
トランプ政権が狙うのは中共から共産主義を排除し、民主中国にすることです。その手始めはハゲタカのような企業群で中共の民間企業を押さえ、そして国有企業の民営化を迫る手口でしょう。
トランプ大統領はビジネス界から大統領になった人ですから、利益追求のためには国有企業ではダメだということを華人が納得する形でアピールするのではないでしょうか。
米中間の貿易協定が2国間で話し合われるでしょうが、もうアメリカは経済的に弱い国ではなくなっております。関税を掛けることを前提にかなり激しい交渉がなされるのではないでしょうか。
もちろん、この関税によってアメリカ国内への製造業の回帰を促す目論見もあるわけです。
さて、我が日本は先ずは現行憲法の破棄と我が国の文化に根差した憲法の起草がなされなければなりませんが、その為には我が国の「コア・バリュー(中核価値)」を明確にしておかなけれればならないはずです。
我が日本は「義」の国です。「義」とは「人として条理・道理にかなったことに従う」ということです。
家族などの集団にあっては「忠義」であり、対人関係にあっては「信義」であり、公にあっては「大義」というわけですが、まとめて「正義」ということになります。
「義」とは法律ではありません。法律の上に来るものとも言えるでしょう。ですから「悪い事でも法律には触れない」からやっていい・・などとはならないわけです。
ある場面において、何が「義」となるかは、その場に居る個人の判断に委ねられます。例え人を殺しても、「義」に准じた行為であれば許されるわけです。法律的には異なるでしょうが・・・
ですから異なる「義」がぶつかり合うときもあるわけで、それが決闘という形をとることもあるようです。忠義と忠義がぶつかれば集団の争い(戦争)も辞さないことになります。
ですから常に「義」のあり方を個々人で研究していなければなりません。それが伝統的な「修行」ということになります。日常生活の中でも「修行」は可能で、なにも仏教や剣術の修行だけが修行ではありません。
修行は、どのような場面に至っても常に正しい「義」の判断が出来るようにすることが目的です。私心を捨て公義に立っての判断ができれば良いわけですが、いつまでも「正義とは何か」と論じていても埒があきません。
また、例え正義であっても、暴論や暴力に負けてしまえば「義」を貫くことは出来ませんから、学問とそして武道の修練も必要になります。
そして学問や武道の修練を積み、正義を貫けるようになること、それを「道義」と表現するわけです。つまり「道義」とは「実践する正義」と考えることが出来るでしょう。
稲田朋美防衛相がよく「我が国は道義国家である」と述べておりますが、これは「国益の前にそれが『義』にかなっているかを判断する」ということであり、国益第一主義のトランプ氏とは多少異なっております。
このアメリカ合衆国第45代大統領に、安倍政権は「国益の前に『義』を通すこと」を説明出来るでしょうか。
トランプ氏はキリスト教のプロテスタント・カルヴァン派に属するそうです。長老派とも呼ばれるこの一派は、個人の労働による利益追求は神の認めるところだとも述べられます。(カルヴァン主義)
安倍政権とトランプ政権は同盟関係にあってもコアバリューは若干ちがうかも知れませんね。我が国が「義」に反すると考えた場合はトランプ政権とは異なる道を行くかも知れない・・・そんな覚悟を持つ必要もあるのではないでしょうか。
今年は「丁酉(ひのととり)」の年。火の鳥の年とも考えられます。つまり火のように熱い改革(再生)が行われる年。
我が国も、あの邪心に満ちたマッカーサー憲法を廃棄し、伝統の国是の基に新たな世界貢献を果たすことが出来るような、そんな年にしたいですね。
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