2014年5月14日水曜日

韓国の朴大統領批判の全面広告

5月11日付けのニューヨークタイムズ紙に、韓国の旅客船セウォル号沈没事故をめぐる朴槿恵大統領の危機対応を批判する前面広告が掲載されたそうです。
韓国の報道も検閲を受けて真実を報道していないと、その広告に書かれていたということですが、ようするに政権批判を外国の新聞で行っているようなものです。

この手法は従軍慰安婦の捏造事件で散々韓国側が使っている手法で、嘘をホントにしたいがためにアメリカが営々と築いてきた信用を使う(ハックする)やりかたです。
セウォル号沈没事故で多くの犠牲者が出たことはお気の毒なことですが、日本では船長等乗組員の職務放棄という罪になるでしょう。それが出来ない韓国とは、ほとんどの既得権保持者が職務権限ばかり使って責任は取らない体質(即ち中華体質)だからだと思います。

つまり韓国と言う国の統治能力が疑われている問題なのであって、全ての韓国人が反省すべき問題のように思います。
統治能力とは、責任をどうとるか、社会的責任の分担の仕方が権力機構とも言えるわけで、その機構が作動しないからあのような事故が起きたのではないでしょうか。

権力者になるものは、責任の取り方を叩きこまれます。それは日本の武士の場合は切腹などに象徴される責任の取り方です。武士道だの修行などと言っているのは、ようするに責任の取り方を学んでいるわけです。自分の兵法の腕をいくら磨いても、責任感が養われていなければ、結局邪道なのです。

責任を取る覚悟を持って、正邪の判断は自らが行います。誰かに言われて「こっちが正しい」などと言う者は権力者にはなれません。あくまでも自分の意思が全てなのです。
そして同じような権力指向の人物が集まってきます。そこからが権力闘争となるわけで、すなわちこれが政治なのです。

正邪の判断は難しいものです。普遍性が求められますからね。感情で左右されても困りますし、狭い了見(サヨクのような)での判断ではすぐに行き詰ることでしょう。
ですからそこに宗教的基準が必要になってきます。その宗教がどのようなものであっても、正邪を判別出来ればいいわけです。
ただ、何でもいいかと言えば、それは多くの民族の歴史と文化を育んできた宗教的正義が、唯一の拠り所となるのではないでしょうか?それは継続され、現在も継承しているという実績があるからです。

日本は「民主主義」と「平和国家」が正義の基幹になっています。しかしこれらは周辺の環境が変わっていくにつれて、内容を変えなければなりません。
安倍政権は「平和国家」の大義を「積極的平和主義」という言葉で、それまでの敗戦後の観念を変えました。「平和=非軍備」という戦後レジームを「平和=強い軍備」という観念に変えました。しかし「平和国家」という大義は維持しています。
「強くなければ国際社会において、平和維持の責任が果たせない」というこの変更は、安倍首相の強い意志の元、責任をとる覚悟を持って打ち出されたものです。そしてそれを今のところ国民は支持しているわけです。

韓国の場合、このような観念が見られません。政治家にも国民にもあまり正義感を見ることがありません。
冷戦構造の時、韓国は自由資本主義陣営に組み込まれていました。北朝鮮は反対側でしたね。
しかし、冷戦構造が終わるとふらつき出し、アメリカの経済力低下とともに中共へすり寄って行くわけです。強いところへくっつくのが韓国の正義であるかのように・・・

自らの判断で正義を決めることが出来ないということ・・すなわち責任の取り方を知らず、責任を忌避することに汲々とするさまが、韓国政治家にも韓国国民にも見受けられます。
早い話が、あの「船長」と乗組員の行動でこのような事が判るわけですし、責任を政治トップの大統領に押し付けるという愚挙が、このニューヨークタイムス紙への全面広告に見受けられます。

体裁だけ整え、責任忌避の体質は、韓国における整形美容の氾濫にも見受けられます。体裁だけは美しくなりますが、内面はどうでもいいと言うわけです。

我が国の最終責任者は天皇陛下です。政治的発言が出来ず、権限すらない陛下ですが、日本国における最終責任者であることは間違いないでしょう。
ですから、陛下が責任を取るということは、日本が終わりになるということです。そこで政治責任者は命を賭しても陛下を守るわけです。全責任を背負い陛下を守るわけです。そして日本人の責任感はここから生まれ連鎖しているように感じます。

長い華人の洗脳が続いた李氏朝鮮の時代、朝鮮は中華の属国(小中華)となっていきました。朝貢外交は熾烈を極め、国力を付けることが出来なかったわけですが、その時代に責任忌避の風潮が生まれたのかも知れませんね。この風潮が、外側だけをうまく見せれば良く、本質が失われても気にしない風潮を作っているように思います。

韓国と付き合うのは、もっと責任感ある国家になってからの方がいいですね。

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