産経抄というコラムに、日本基督教団駒場エデン教会の笹森建美(たけみ)牧師が8月15日に亡くなられたという事が書かれておりました。
駒場エデン教会は我が家のすぐ近くであり、一度だけ伺ったことがあります。キリスト教メソジスト派(青山学院の教義と同じ)でありますが、この教会の前の道を通ると、時々中で剣道の稽古をしている音が聞こえてきます。
どうしてか不思議に思っておりましたが、ここの牧師さんが「小野派一刀流」第17代宗家であることを知って納得がいきました。
呑み屋で会ったどこかのパパが、「あの教会の道場に息子をやったが、竹刀でなく木刀で稽古するので危なくってやめさせた」と述べていました。師範が居るので危険ではないと思いますが、確かにかなり厳しい修行の場でもあったようです。
我が国の歴史を調べますと、関ケ原の合戦までの剣法は「介者剣法」と言って鎧兜に身を固め戦に赴く剣法だったそうです。
矢を通さず、刀も除けられる甲冑装備は、それを倒すために転ばせる方式を取り、転んだ相手の喉元に刀を突きたてて殺す技が一般的だったようです。重武装の対決と言う訳ですね。
しかしこれでは重すぎて機動力が落ちてしまいます。そこで伊藤一刀斎という武将が、「刀一本で身を守れないか」という命題を課し、その技、即ち「構え」と「体操作(体術)」を合わせた武道を考案したそうです。それは「素肌剣法」と名付けられました。
関ケ原の後、時代は徳川将軍の御代となり平和が訪れますが、徳川政権に反発する武将がわざわざ江戸の街中を甲冑を付けて俳諧し、徳川を弾劾し始めたようです。将軍は怒って「甲冑を付けての俳諧を禁止する」というお触れを出します。
しかし帯刀までは禁止できませんでした。そこで注目されたのが「素肌剣法と一刀流」だったわけです。一刀流はブームとなったようで、さまざまな一刀流の道場が出来て、その中で本流となったのが「小野派一刀流」や「北辰一刀流」だったのだろうと推測します。
一刀流よりも、刀を2本使う二刀流の方が優れているとして、宮本武蔵は二刀流を提起し続けましたが、これは主流にはなりませんでした。
また、最初の一撃で相手を倒す「野太刀自顕流」なども一刀流ですが、太刀の長さを3寸長くして相手の刀が届く前に相手を倒す流派で、重い刀では長時間は不利ですから最初の一撃で倒すわけです。ちょっと異端の一刀流です。(東郷平八郎のT字戦法はこの流れかも知れませんね)
それでも徳川政権は、何とか刀も取り上げようとしたのかも知れません。完全なる武装解除です。そこで登場したのが「柳生石舟斎の無刀取り」です。
徳川家の剣術指南に柳生流が抜擢されたのも、無刀取りゆえではないでしょうか。
徳川時代が終わって明治になった時、西洋に学ぶためか多くの武家がキリスト教に改宗しています。津軽藩の藩士だった笹森さんの祖父もそうだったようです。
そしてそのころ、英国で学んでいた新渡戸稲造氏が、日本のコアバリュー(中核価値)を問われて、「武道という哲学」を英国人にも判るようにまとめたものが「武士道」だったはずです。
日本語には武士道なる言葉はありませんでした。武士道という言葉が使われた場合もあったようですが、当時の武士を皮肉る書物に使われていたみたいですね。
大道寺友山の残した「武道初心集」とか「葉隠れ」などが後に武士道として紹介されたようです。
こうして西洋に我が国のコアバリューが紹介されたのですが、その本質が判ったのは「日露戦争」であり「大東亜戦争」の時だったのではないでしょうか。
大東亜戦争では、パイロットも日本刀を持って戦っていました。陸軍も少佐あたりから軍刀を携帯します。すなわち自分たちが武士であることをもって、戦い抜く矜持を示していたのではないでしょうか。
そしてこれを欧米軍が恐れたわけです。「殺しても殺しても向かってきてわれわれを切り殺す」と言う訳です。アメリカにとって、一番恐ろしかったのは硫黄島の戦いだったようで、あそこの戦死者だけは日本兵よりもアメリカ兵の方が多かったそうです。
その恐ろしさ故に広島と長崎に原爆が落とされたのではないでしょうか。そして戦後、進駐軍により徹底して「武士道潰し」が行われたのでしょう。
「武士道」の核心は「義」です。「義」を通して身の処し方と死を持って命の価値を高める哲学です。そこには「キリストの死」と相通じるものがあったのかも知れませんね。
マッカーサーは、この「義」を嫌います。そして「義」の上に「キリストの愛」を置いたのです。忠臣蔵が復讐劇であるとして上演が禁止されます。「赤穂義士」ではなく「赤穂浪士」とすることでしぶしぶ上演を認めたようです。しかし義士を浪士とすると、あの討ち入りは単なる浪人の押し込み強盗になってしまいます。この教育で育った若者は忠臣蔵の意味が分からなくなる訳です。
「正義」の反対は「悪」ではなく「不義」です。「悪」の反対は「善」ですね。「愛」の反対は「憎悪」であり、これは人情です。義理の方が人情より重たく感じるのが我が国の伝統なのです。
しかし現在はどこを見ても「愛」で埋め尽くされております。「愛」がもたらしたものは利己主義と文化の幼稚化でした。そしてそれは欧州でもアメリカでも同じであるように思います。
武士道は日本文化の基礎になっています。「華道」も「茶道」も「装道」も、そして「日本舞踊」なども「武と義」の要素が取り込まれています。
そしてもしこれらの要素を失えば、日本文化は軽薄なお遊びと区別がつかなくなってしまうでしょう。
産経妙には「アメリカこそ武士道が必要ではないか。」と締めくくっておりますが、我が国こそ「武士道」を見失うことの無いよう願いたいですね。
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