2016年1月30日土曜日

復元ゼロ戦、鹿屋航空基地上空を飛ぶ

大東亜戦争で活躍したゼロ戦が、アメリカから里帰りし、そして復元されて、2016年1月27日午後2時、海上自衛隊鹿屋航空基地から飛び立ち、基地空港上空をテスト飛行しました。

ゼロ戦の元搭乗員は、もうご高齢で鹿屋に赴くことは出来ませんでしたが、「ゼロ戦が鹿屋の空を飛んだ喜びを分かち合った。ゼロ戦の技術力も知ってほしいが、あの戦争において、傾きゆく天を支える気持ちで戦った仲間の思いを、若い人が知るきっかけにしてほしい。」と語りました。

このゼロ戦は、ニュージーランド在住でフライトジャケット製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(55歳)が、2010年2月に米国人バイクレーサーから購入したものだそうです。
現在アメリカには飛行可能なゼロ戦(動態保存のゼロ戦)が5機あるそうで、この飛行機もそのバイクレーサーが飛べるものにしようとしていたのかも知れません。

購入後、石塚氏は失われている多くの部品を全てそのままの寸法(リベットの位置まで)で作り直したようです。それから日本国内での飛行を可能にするため、資金集めや、関係省庁との交渉を進めました。
相当の努力と、そして5億円以上の費用を掛けて、ほとんど全財産を使ってやっとこのテスト飛行に至ったのです。

その飛行の模様は次の映像をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=8JKMiCs7RCs

鹿児島県の鹿屋は、70年前に特攻隊が沖縄に向けて飛び立った基地です。知覧は陸軍の特攻基地であり、鹿屋は海軍の特攻基地でした。
このゼロ戦の操縦席横に取り付けられたカメラが、離陸の様子を捉えていますが、この光景は70年前の特攻のパイロットが最期に見た光景と同じものですね。きっと・・・

特攻を犬死にと言う人が居ります。しかしアメリカの当時の資料を見ますと、特攻の戦果は歴然としていて、そのアメリカ軍に与えたダメージがいかに大きかったかが判るそうです。
決して犬死などではなかったわけですね。

沖縄でも、あの時、凄まじい艦砲射撃で豪の中から出られず、水もなくなっていったとき、特攻機が現れると、その砲撃が島から特攻機へと集中するので、その間に壕から抜け出し水や食料を捜しに行けた・・と語る方がおられます。
そして「特攻隊の皆様にはとても感謝しています」と述べられています。

また、知覧は観光地になって「特攻隊員は可哀想」が中心になってしまったようですが、鹿屋は今も海上自衛隊の航空基地であり、そこには「特攻に限らず、軍人とは国を護るために死ぬのだ」というメッセージが活きているようだ・・とある人が語っておりました。

今回のテスト飛行には、アメリカからパイロットを呼びました。スキップ・ホルム氏(72歳)が飛行したのです。ゼロ戦の操縦が出来る人はもう日本には居ないようです。往年のセロ戦・パイロットはもう90歳を過ぎてしまっています。
アメリカはこのゼロ戦のような星型エンジンでもパイロットの資格が取れるそうですが、日本では取ることが出来ないそうです。

このゼロ戦のこれからについて所有者の石塚氏は、「この機体を、日本のいろいろな場所で飛ばしたい。そして飛ぶ姿を見て、今の日本人に自信を取り戻してもらいたい。」と語っておられます。
そのためには、若い人がアメリカでこの星形エンジンのゼロ・ファイターの操縦資格を取ってきてほしいですね。
そして日本全国の空港を飛び、このゼロ・ファイターを生み出した日本の歴史を、誇りを持って学んでほしいと思います。

敵国・中共は、このゼロ戦の飛行について早速クレームを付けてきました。中央テレビで「日本の(軍国主義復活の)野心を暴露した」などと中傷したのです。
この中でゼロ戦を「『殺人魔機』として悪名が高い」などとも表現していました。技術とか熟練などという言葉を持たない中共の、やけっぱち暴言のように聞こえますね。

そしてその翌日、その中共をさらに震撼させる出来事が、愛知県の三菱重工の工場で起きました。
ついにあの第6世代ステルス戦闘機・「心神」の本物が公開されたのです。
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/photos/160128/plt16012811590010-p4.html

ゼロ戦を生み出したのは三菱重工と中島飛行機です。その技術的思考を継承した第6世代のジェット戦闘機のための「先端技術実証機」である「心神=Advanced Technological Demonstrator-X, ATD-X」の登場です。

数度の設計変更で遅れていたテスト飛行が、間もなく始まりそうです。予定では2月に地上走行テストを行い、不具合があれば修正して、今年中には大空を鳥のように飛ぶはずです。

太平洋でゼロ・ファイターに悩まされたアメリカ(GHQ)が、大日本帝国陸海軍の傑作機復活を恐れるあまり、ズタズタにされてしまった日本の航空機産業です。
しかし70年の時を経て、往年のゼロ戦を石塚氏が再生したように、日本の航空機産業も再生していったのです。

27日に復元されたゼロ戦が鹿屋上空を飛び、そしてその翌日に先端技術の粋を集めた「心神」が登場するという・・・この演出、誰かが企画したのでしょうか、それともやはり英霊のなせるワザなのでしょうか・・・

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