2014年12月28日日曜日

韓国の幼児性

大韓航空86便(エアバスA380型機)に、乗客として乗っていた同社副社長が、機内サービスとして袋に入れたまま出されたマカダミアナッツに腹を立て、「機内サービスがなっていない」と激怒、それを出したキャビンアテンダントに「今すぐ飛行機から降りろ」と怒鳴ったため、飛行機は仕方なく引き返し(ランプリターン)をしたという事件がありました。

この空港がアメリカ合衆国のジョン・F・ケネディ国際空港だったためか、他の飛行機にも迷惑が掛かり、この事件のことを「ナッツリターン」と言うようになって、世界中の笑いものになっています。

この大韓航空の副社長・趙顕娥(チョ・ヒョナ女史)は、その後韓国の ソウル西部地検が捜査を始め、現在は「趙前副社長に対する捜査を終え身辺処理問題を決める方針」となっているとか。

韓国にはこれと似たような事件が過去にも起きていました。ポスコ(POSCO)という、韓国最大の製鉄会社の常務取締役が機内食として出されたラーメンにクレームを付け、女性のキャビンアテンダントに暴行をしたという事件です。
韓国では、このように社会的地位にある方々が、つまらないことで激怒して失敗する事件が多いように思うのです。そしてその理由として感情抑制が出来ない、ようするに幼児的な性質の表出があるように見受けられます。

もっとも、酒に酔ったり、行詰ったストレス(阻害感)にさいなまれていたりすると、どんな人でも「幼児性」が表面化してしまう事があります。
このような時、いかにしてその感情を抑えるか、そこにその民族の文化背景が出てくるのではないでしょうか。

日本には「甘え」という言葉があります。それを持ってこの感情を抑制し、大人の判断をしていくわけです。
しかし我慢して大人の判断を繰り返していますと、甘えに対する渇望が積み重なります。それをストレスという言葉で表現しながら、レジャーやスポーツを行い、そしてスナックやキャバクラに遊びに行くわけですね。

この「甘えの渇望(=ストレス)」が昇華出来ないと、人は追い詰められて行きます。その結果精神病の発病という事態を迎えますが、韓国のこのような事件を見ても、従軍慰安婦の虚妄に対する執着を見ても、幼児性暴力の病理を見ているように感じます。

日本には、 土居健郎氏が書かれた「甘えの構造」という名著があり、夏目漱石の文学などを引用しながら日本人論を展開しています。
これに対してアメリカでは、エリックバーンという教授(カナダ人)が、人間関係をゲーム分析する「交流分析」という論文を発表しています。
日本ではこれを一橋大学の「南博教授」が持ち込み、日本におけるストレス対策の基本が作られました。(この南博研究室の学生だった人が、あの石原慎太郎氏です。)

「甘え」の概念(文化的な意味)のある日本と、その概念がない西欧文化の違いが、この2つの論文を見ると嫌と言うほど判るのです。
夏目漱石の文学を見るまでもなく、鶴田浩二や高倉健のやくざ映画を見ても、そこに流れる日本的なものの背後にはこの「甘え」の概念が流れ、その昇華する姿が感動的に描かれます。
交流分析では、そのストレスの原因(ストレッサー)の究明など、精神医学的手法が使われるため複雑な手段(ストレス対策コンサルティングなどと称していますね)が使われます。

アメリカ方式が日本に入ってきて、「甘え」の概念が少しづつ忌避され始めると、社会の中に猟奇的事件が起きてきます。この猟奇事件の様相の中に、韓国に見る「あきれた事件」との相関があるように思えて仕方ありません。

甘えという概念が無くても、イタリアやフランスの文化にはそれを感じさせるものもあります。カトリックがイエス・キリスト以上にマリア崇拝をするのは、もしかしたらこの「甘えの昇華」と関係があるのかも知れません。
対するプロテスタントはキリストの原理に基づきますから、甘えの昇華が希薄です。その感情を「神の許し」という名目でキリスト教への帰依が画策されているからではないでしょうか。

そして韓国朝鮮には、このような甘えを昇華する文化を見ることが出来ないのです。例えば男女関係に甘えが持ち込まれないと、男尊女卑が進み女性への人権侵害に発展するでしょう。
男の甘えさせ方が上手い女性は、男性を操ることが出来ます。いわゆる女帝になり、そこからまた悲劇が生まれますね。

社会は、この「甘え」を取り込むことで安定化します。それがマリア様でも観音様でも、あるいは天皇陛下でも良いのです。
しかし「甘え」を拒絶する社会になると、そこに表出するのは「幼児性の強い国家」となり、幼児的暴力が支配する社会になって行くような、そんな気がします。

韓国のこのような事件を見ていて、そう感じる次第です。

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