2014年8月2日土曜日

教育改革・道徳教育に特攻隊員の遺書

女高生の残虐な殺人事件がマスコミに溢れております。日教組教育も、ついにここまで来たかと疑いたくなるようなおぞましい事件ですが、教育改革の方は一向に進んでいないようです。

何事も早い四国、その四国、高知県の市立南海中学校、そこの道徳の授業で「特攻隊員の遺書」を使った授業を行い、成功している教師が居るそうです。(産経)

この遺書を読み始めると、ざわついていた教室内が静まりかえったそうです。
この遺書は、神風特攻隊・大和隊に所属した「植村真久(うえむらまさひさ)少尉(戦死の後大尉)」が、特攻前に生まれたばかりの自分の子供(女の子)に宛てた手紙で、ネットユーザーであれば誰でも一度は見た遺言書ではないでしょうか。

鶴田浩二氏の朗読で、いつも泣いてしまうほど感動的な手紙です。最初に特攻隊の出撃映像と、そのすさまじい攻撃の模様(アメリカ軍撮影)が結構長く入っていますが、以下にURLを掲載いたします。

https://www.youtube.com/watch?v=3Ok_Dh-HVWw

この授業を考えたのは永原潤一主幹教諭(44歳)です。「親の気持ちや命のつながりを知り、よりよい生き方を模索するきっかけにしてほしかった」と述べておられます。

この朗読の前に行う、両親についての子供たちの意見の聞き取りでは、「親はウザい」「口うるさい」などというものが多かったそうです。
しかし、この朗読を行った後、「みんなが素子さんなら、亡くなったお父さんにどんな手紙を書きますか」という問いかけを生徒たちにすると・・・多くは次のような返事があると言うことです。
「家族愛ってすごいんだなと感じた」「強い思いで(自分を両親が)育ててくれていることが分かった」というような返事です。

教諭たちは、授業の中で決して特攻隊を美化しないそうです。

「最初から死ぬと判っているような攻撃は邪道である」と言っていたのは特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎中将です。ですから美化することは避けた方が良いのですが、しかし命を持ってアメリカにぶつかって行った若き兵士達に、深い哀悼と感謝の念を持つことは必要でしょう。

この大西中将は昭和18年の頃から、1000機以上の戦闘機を作るように海軍内で進言していました。しかし、大艦巨砲主義を選択する上層部を説得できなかったのです。(おそらく日露戦争の後遺症でしょうね。あの時は戦闘機はありませんでした。海戦の主役は巨艦だったのです)

そのために戦闘機飛行士の訓練が出来ず、敗戦色が強くなった昭和19年、やっと航空戦力こそが必要と理解された時には、もはや飛行士を訓練する時間的余裕がありませんでした。
万策尽きて、ついに、大西中将は特攻を決意します。訓練が出来てなくても、体当りなら出来る・・・この史上最悪の作戦はこうして出来上がって行ったのです。

しかし大西中将は最後まで「統帥の外道」として、本来あってはならない作戦だと述べていたそうです。
それなのに「なぜ特攻を続けるのですか」という質問には、「ここで青年が起たなければ、日本は滅びます。しかし、青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのです」と答えていたとか。
陸・海軍併せて4380人の若い命が沖縄の海に散りました。命中率は12パーセントだったそうです。
そして大西中将は、この外道なる作戦を指揮した責任を、終戦の次の日に自ら取ったのです。

昭和20年8月16日。渋谷区南平台の軍令部次長官舎で大西中将は割腹自殺を遂げました。
武士の作法通り、腹を十文字に掻き切り、かえす刀をもって首と胸を突き刺しました。通常割腹自殺は激痛を伴うために、介錯を付け首を刎ねてもらうのですが、敢えて一番苦痛を味わうために介錯を付けない方法を自らの意志で選択したそうです。

駆けつけた軍医にも「決して生きるようにはしてくれるな」と、治療の一切を拒み、想像を絶する痛みのなか15時間かけて、少しづつ出血多量で絶命していきました。
血の海で悶え苦しむ中、大西中将は、「これでわしが送り出した部下達との約束が果たせる」と言っていたそうです。

大西中将は「あの時(昭和18年)に、もっと航空戦力の必要性を説得して予算を取っていたら、こんな外道をしなくて済んだのに・・・」という思いが強かったのでしょう。
彼の遺書には、末尾に「日本民族の福祉と世界人類の和平のために最善を尽くせ」と書かれていたそうです。

どんな逆境にあっても、通してこそ正義・・・それが出来なかった大西中将の無念。特攻隊を美化することは、大西中将の意思に反することでしょう。

高知県の永原潤一主幹教諭は、特攻隊の遺書を「家族、そして両親への感謝」を呼び起こすために使っているようですが、この大西瀧治郎中将の責任の取り方についても話し合ってもらいたいですね。
そして「正義とは何か、その正義の実践たる大義について」などの話にも言及していただきたいものです。
子供たちは、あの殺伐としたコンピュータゲームをやりながらでも、このような問題(即ち愛国心、同朋のために殉じること)に関心を持っているはずですから。

まもなく、また8月15日がやってきます。
靖国神社に参拝した政治家がどうのこうのと、いつものようなマスコミの愚劣な批評に惑わされないで、静かに、散華された若き兵士達に思いを寄せて、これからの我が祖国・日本のあるべき姿を考えてみたいですね。

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