2015年3月25日水曜日

リー・クアンユー氏、死去

シンガポール共和国・建国の父と言われたリー・クアンユー氏が、3月23日に死去しました。世界を相手に活躍した気骨ある政治家でした。(享年91歳)

シンガポールはマレー半島南端、赤道の137km北に位置し、東南アジアのほぼ中心となります。現在は世界第4位の金融センター及び世界最繁忙な5港の港湾のうちの1港となり、世界有数の商業の中枢の都市国家です。

シンガポールとその近傍の島々には、2世紀から定住が始まり、それ以降は一連の現地の帝国に属してきました。
1819年に、マレー半島南部を本拠とする港市国家群の海上帝国・ジョホール帝国(1528年成立)の属すようになりました。このジョホール王国は現在もイスラム教国家として、世襲のスルタンによって王位が継承されています。

19世紀半ばに、リー氏の曾祖父が中国からシンガポールに移住します。祖父の代から英語の教育を受け、リー氏の父は外資系企業に勤務していたそうです。
クアンユー一族はすべてが英語教育を受けた知識人であり、家族は英語とマレー語で会話をしていたということです。

1942年に日本がシンガポールを占領し英国軍を追い出します。中国大陸で起きていた日中戦争で、中国側の抵抗(列強が支援していた)に苦しんでいた日本軍は、東南アジアに済む華僑を警戒し、華僑男子に「数日間の食糧を持って、市内各地5カ所に集まるように」命じます。この時日本軍が持っていたと言う「処刑すべき」リストの中にリー氏の名前も入っていたとか。

実際にシンガポールに居た華人は5000人ほどが処刑されたと言うことですが、これもはっきりしてはいません。現地華僑の歴史家には5万人が殺されたと言っている人も居るそうで、真実は霧の中のようですね。

リー・クアンユー氏も、この日本軍政時期に放送局などに勤務していたそうです。そしてこの時期にリー氏を含むシンガポールの住民に、将来の独立に向けての希望が見えたと感じたとか。
永遠に続くと思われた英国による支配があっという間に日本にとって替わったこと。そしてその後の日本の軍政が緩やかだったからだと思います。

日本が敗北し、日本軍はシンガポールから去っていきます。この時、シンガポールの住民にナショナリズム意識が芽を吹き出したのです。
この時のことを、リー・クアンユー氏は次のように述べております。
「私と私の同僚の世代は、若いときに第二次世界大戦を体験し、その体験を通して、日本であろうとイギリスであろうと、われわれを圧迫したり、いためつけたりする権利は誰にもないのだ、という決意をもつに至った世代です。われわれは、自ら治め、自尊心ある国民として誇りをもてる国で、子供たちを育てていこう、と決心したのです」・・・

その後、英語が出来たリー氏は英国に留学。弁護士となって帰国し、独立運動で植民地政府に弾圧された労働組合や学生指導者の弁護を引き受けるようになり、そして政治への道を進むことを決心したそうです。

1957年に隣のマレーシアが英国から独立、シンガポールは1958年に英連邦内自治州となり、外交・国防を除いた完全内政自治権が付与され、そしてリー氏は35歳の若さで首相に就任したのです。
その後、共産主義勢力との対決とか、マレーシア連邦に加盟するも、マレーシア側が「華人勢力が強まり、連邦の結成を乱す」と言う理由で追放されるなど、苦労が続きました。

このような経緯を経て、1965年、ついにシンガポールは都市国家として独立を果たします。

独立後のリー・クアンユー氏は、手厚いインフラ設備で外資を誘致し産業を興し、住民には雇用を増やして生活を安定させました。
そして、「シンガポールを東南アジアのオアシスにすること」をその政策に掲げます。徹底して政敵を排除しPAP(人民行動党=People's Action Party:リー氏の政党)の独裁体制を貫きます。

野党には選挙制度や選挙区の改編で攻撃し、野党候補を当選させた地区には政府支援などで不利益を被るように仕掛け、徹底した能力主義で国を発展させました。
東南アジアで最も清潔で整備された街並みを見ると、このリー氏の政策が、ある意味では正しかったことをうかがわせます。

しかし、失敗・敗者復活を許さない教育制度などのエリート至上主義は、人権上からの批判が出ております。
それでも「現実的に自分は正しい」というリー氏の信念を、シンガポーリアンは受け入れてきたのです。

1990年に引退しますが、その後もシンガポールの政治に影響を与え続けてきました。2004年には長男のリー・シェンロン氏が首相となり、現在もPAPの政権が続いています。

4年前の2011年、経済成長の停滞が続いたためか、総選挙で国会定数87議席のうちPAPは過去最低となる81議席に減ってしまいます。つまり野党に6議席取られたということです。
若い世代を中心に、PAPの管理政治への不満が噴出し始めたようです。

都市国家シンガポール。その最高実力者が他界いたしました。
南シナ海への中共の侵略など、石油シーレーンなどに影響が懸念される時です。今後、シンガポールはどうなっていくのでしょうか。

東南アジアで一番美しい都市・シンガポールが、いつまでも美しくありますように・・・心からリー・クアンユー氏のご冥福をお祈り申し上げます。

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