2013年4月15日月曜日

NHKの過去の番組、「エンデの遺言」の不気味さ


友人で、バーター取引を行っている方から、「NHKの数年ほど前の番組で『エンデの遺言』というやつが、Youtubeに出ているから見て感想を聞かせてくれ」と言うことで、さっそく見てみました。
彼のやっているバータージャパンという交流会は、物々交換にバーターポイントという電子帳簿取引を導入しているので、それでこの番組に注目したのでしょう。
(バータージャパンはここ→ http://www.barter-japan.jp/ )

正直に申し上げて、この番組を見て少しガッカリしました。
ここで説明されていることは、進歩ではなく退歩とも思える通貨だったからです。この番組に登場する地域通貨は、「通貨の始めはこうだった」と言っているように見えました。
エンデ氏は、金利とか投機マネーが無くなれば、健全な経済になるとでも思っているのでしょうか?
だとしたら、とんでもない妄想を「理想とはき違えて」いるだけですね。

現われては消えた過去の通貨たち。それを現在のように安定させたのは、中央銀行制度と金利システムが出来てからです。
通貨とは借金の証文です。ですから昔は誰でも発行出来ました。しかし、発行した人間はいずれ死にます。個人信用はそこでおしまい。その通貨は消えます。いかなる権力者であろうと、どんなに大金持ちであろうと同じです。
そこで、近代国家では、国家が責任を持つことで政府が発行します。中央銀行制度は、政府の政策でインフレになることを防止するために作られたシステムです。中央銀行の独立性はインフレ対策であってデフレの時は無効です。

このように、多くの問題点を克服して作られた現在の通貨制度です。しかし番組では、その通貨システムがおかしいと言うことで、地域通貨がクローズアップされていました。
あたかも地域通貨が新しい通貨システムであるかのような錯覚を意図した、いかにもNHKらしい番組の作り方ですね。
カリフルニアのイサカという町で発行されている「イサカアワー」とか、手書き帳簿で取引を行う「交換リング」などが紹介され、インタビューなどで「町が活性化されている」ことをアピールしていましたが、巧妙に問題点は隠されていました。

友人のバーターポイントで、こんな問題が発生したことがあったのです。会員の一人が、バーターポイントを使って他の会員の商品を買いまくり、自分は何も売らないという非常識を行ったわけです。
会長がその人を脱会処分にして、買った商品は現金で払わせたことで、決着を見ましたが、発行されたポイントはそのままです。そうするとバーターポイントが若干インフレぎみになったとか。
早めに手を打ったので被害はほとんど無かったわけですが、地域通貨はこのような問題をいっぱい抱え込んでいます。(もちろんNHKでは、こんなことはおくびにも出しません)

これを事前に防止しようとして、規則を強化すると排他的地域通貨になってしまいます。これは逆に活性化を阻害すること、差別を生み出すことなどが生じるはずです。
まあ、規模が小さければこのような問題はあまり出てきませんが、規模が小さければ、大きなビジネスは出来ないということになります。

通貨システムの規模がワールドワイドになっておかしくなったのが、現状の問題点です。
よく考えてみると、通貨発行のシステムが不完全な状態でワールドワイドに展開したことが失敗の原因ですね。ユーロなどは、せっかく機能していた国境という安全弁を取り払って、みずから危機を招いただけのような通貨です。

エンデ氏は、「パンを買うための通貨と、株式投資する通貨は別物」という考えを示しました。同じことを、金融関係者は「リアルマネー」と「フェイクマネー」という言葉で表現しております。
しかし、理論的には分類できても、実際は同じお金です。お金がお金を増やすという「バブル」と、その破綻が問題なのですが、その責任を「ウォール街」など「金融の欲張りども」に持っていくのは筋違いではないでしょうか?

バブル経済が破綻すると、フェイクマネーの多くが誰かの借金になります。返済が終了するまではデフレ不況が続きます。返せなくなれば国家経済が破綻します。
対処療法はひとつしかありません。通貨発行権を持つ所がその借金を抱え込み、通貨を発行して借金を相殺してしまうことです。そしてさらに通貨を発行して景気を高揚することです。景気が高揚すれば、民間で借金を背負っている人たちも返しやすくなります。その見返りが物価の上昇ですが、国民が頑張って生産性を上げれば克服可能です。(アベノミクスとは・・・これです)

しょせんはお金。地域通貨も、国家と中央銀行の通貨も同じなのです。
問題は「流通通貨をいかに制御するか」という一点です。そして電子マネーになれば、その手法もいろいろと増えていきます。通貨とは、借金の証文であり、同時に「帳簿という情報」なのですから。紙幣という紙切れを考えたら判らなくなりますよ。
通貨流通量の制御が出来れば、お金の発行は民間が行っても良いのです。ただ、「お金を発行するということは、借金の証文を書くことと同じ」ということさえ判っていればね。

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