我が国のサヨク活動が終焉を迎えそうです。
共産党の党員数の減少に歯止めがかからないからです。「団塊の世代」が最も多い共産党員ですが、この世代も高齢化が進み、リタイヤが進んでいて、ゆえに党勢衰退を招いていると言ったところでしょうか。
前回の参議院選挙では、約602万票を獲得し、改選3議席を6議席に倍増させました。しかしこれは民主党の劣化によって票が共産党に流れただけで、つまりサヨク支持が減少してきた証でもあると思います。
沖縄に集結したサヨク分子ですが、基地反対の掛け声も「翁長知事」が行った辺野古移転反対訴訟で敗訴が決まり、上告をするもはたして最高裁がその訴訟を受け付けるかどうかは判りません。
辺野古から高江のヘリパッドに移動したサヨク集団(ほとんどが県外のサヨク)ですが、高江住民からも嫌われているようです。
だいたい高江は基地が返還されることで、これまで訓練場だった広大な敷地が沖縄に返ってきます。基地反対という大義は使えない闘争なのです。
もともとこの地域は、ジャングル戦の訓練に使うことを目的として米軍が使用していたもので、戦略の変更と兵器の近代化によって不要になったことから、オスプレイのような戦略機器の運用だけを残せばいいということでヘリパッドの建設を行っているものです。
このサヨクの活動を見ていますと、60年安保以来何も変わっていないことが目につきます。反米の目的は共産主義革命にあって、国家という壁を無くし世界を一つにするという理想のようですが、結局はソビエト時代ではモスクワ従属、現在は北京従属という、共産主義が作るヒエラルキーに従属するという奴隷根性のような思想だったわけです。
最近は日本共産党の志位委員長が北京に対して「中国共産党が変質し覇権主義的な振る舞いをしている。東、南シナ海進出は力による現状変更だ!」と過激に中共を非難しました。
見方によっては安倍政権への応援演説の様に見えますが、ある意味では「共産主義のトップは日本共産党である」と言っているようにも聞こえますね。
共産主義とアメリカのグローバル経済はほとんど同じ発想で、共産主義が国家資本なのに対してグローバル経済は民間資本(いわゆるユダヤ資本)です。
共に国境は無くし、すべての民族が共和しようというシステムです。言い換えると、国家主権を無くし、貧富差が広がることを容認するシステムであることはお判りでしょう。
アメリカ側の発想は「神に選ばれし者」が富を独占します。中共側は中華思想によって華人の頭のいい(ずる賢い)者が富を独占すると言うわけです。
共産主義者は仲間を同志と呼びます。ではアメリカ側のグローバル経済で国境を無くそうとしている人達は何というのでしょうか・・・そう、「市民」と言うわけです。
サヨクが得意気に使う「市民」とは、国境を無くすことを意図していますから、国民という言葉を毛嫌いして「市民」という言葉を選んだのでしょう。
(オーソン・ウェルズの「市民ケーン」を思い出してください。ケーンは新聞社(マスコミ)の富豪でしたね。オーソン・ウェルズの皮肉だったのか警告だったのか・・・)
しかし、市民とはもともと都市国家で政治的決定権のあるエリートを呼んだ言葉です。そして市民の反対は奴隷だったことを忘れてはなりません。
都市国家の権力構造が長く続けば経済的には繁栄します。すると他国との貿易とか商品売買などで富裕層が出てきます。その国家の生産は奴隷に任されたまま、裕福層が幅を利かせてきます。
金の力で権力者を説き伏せ、得た権利が市民権だったのではないでしょうか。こうしてその国家の政治に口を出していくのです。
戦争で権力者が疲弊すると、その都市国家を捨てて別の国家へ移っていく身勝手な層が「市民」だと思います。口を出した政治的結果の責任は持ちません。
最近はソーシャル活動などでよく「市民」という言葉を使う人が居ます。外国人なども仲間に入れて「自分たちは市民だ。自由市民だ」などと叫ぶわけですが、彼らの言い方からサラリーマンのような奴隷ではないことを強調しているようにも見えますね。
無意識に「選ばれし者」と「奴隷」という構造を強調しているわけです。
しかし最近はグローバル経済の失敗でアメリカが疲弊して、国家意識が台頭してきました。世界的な不況の予感の中で、国家主権が見直され始めたからでしょう。
国家主権の中で重要なものの一つが「通貨発行権」です。しかし、時代がマネーの電子化を進める中で、この権利をどのように維持していくか、21世紀の課題ですね。
インドのモディ首相、ロシアのプーチン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領など、そして日本の安倍首相も、このような国家主権を強く意識した指導者です。
さらにアメリカの大統領候補・ドナルドトランプ氏もアメリカ国家を取り戻そうという認識で共和党候補に上ってきた人です。
プーチン大統領などはマスコミからは叩かれますが、国際金融に背を向けて主権国家を維持管理しようとする姿勢は次第に受け入れられていくように思います。
ですからサヨク運動が終焉を迎えるだろうと思うわけです。
市民とか革命とか、20世紀の残照を感じさせる言葉はもう古臭く感じませんか。これから台頭する言葉は、国民という意識改革であって、国防とは何を守るのか、国家主権とは何か、などの議論が新たな話題となっていくような、そんな時代を感じるのですが・・・
前回の参議院選挙では、約602万票を獲得し、改選3議席を6議席に倍増させました。しかしこれは民主党の劣化によって票が共産党に流れただけで、つまりサヨク支持が減少してきた証でもあると思います。
沖縄に集結したサヨク分子ですが、基地反対の掛け声も「翁長知事」が行った辺野古移転反対訴訟で敗訴が決まり、上告をするもはたして最高裁がその訴訟を受け付けるかどうかは判りません。
辺野古から高江のヘリパッドに移動したサヨク集団(ほとんどが県外のサヨク)ですが、高江住民からも嫌われているようです。
だいたい高江は基地が返還されることで、これまで訓練場だった広大な敷地が沖縄に返ってきます。基地反対という大義は使えない闘争なのです。
もともとこの地域は、ジャングル戦の訓練に使うことを目的として米軍が使用していたもので、戦略の変更と兵器の近代化によって不要になったことから、オスプレイのような戦略機器の運用だけを残せばいいということでヘリパッドの建設を行っているものです。
このサヨクの活動を見ていますと、60年安保以来何も変わっていないことが目につきます。反米の目的は共産主義革命にあって、国家という壁を無くし世界を一つにするという理想のようですが、結局はソビエト時代ではモスクワ従属、現在は北京従属という、共産主義が作るヒエラルキーに従属するという奴隷根性のような思想だったわけです。
最近は日本共産党の志位委員長が北京に対して「中国共産党が変質し覇権主義的な振る舞いをしている。東、南シナ海進出は力による現状変更だ!」と過激に中共を非難しました。
見方によっては安倍政権への応援演説の様に見えますが、ある意味では「共産主義のトップは日本共産党である」と言っているようにも聞こえますね。
共産主義とアメリカのグローバル経済はほとんど同じ発想で、共産主義が国家資本なのに対してグローバル経済は民間資本(いわゆるユダヤ資本)です。
共に国境は無くし、すべての民族が共和しようというシステムです。言い換えると、国家主権を無くし、貧富差が広がることを容認するシステムであることはお判りでしょう。
アメリカ側の発想は「神に選ばれし者」が富を独占します。中共側は中華思想によって華人の頭のいい(ずる賢い)者が富を独占すると言うわけです。
共産主義者は仲間を同志と呼びます。ではアメリカ側のグローバル経済で国境を無くそうとしている人達は何というのでしょうか・・・そう、「市民」と言うわけです。
サヨクが得意気に使う「市民」とは、国境を無くすことを意図していますから、国民という言葉を毛嫌いして「市民」という言葉を選んだのでしょう。
(オーソン・ウェルズの「市民ケーン」を思い出してください。ケーンは新聞社(マスコミ)の富豪でしたね。オーソン・ウェルズの皮肉だったのか警告だったのか・・・)
しかし、市民とはもともと都市国家で政治的決定権のあるエリートを呼んだ言葉です。そして市民の反対は奴隷だったことを忘れてはなりません。
都市国家の権力構造が長く続けば経済的には繁栄します。すると他国との貿易とか商品売買などで富裕層が出てきます。その国家の生産は奴隷に任されたまま、裕福層が幅を利かせてきます。
金の力で権力者を説き伏せ、得た権利が市民権だったのではないでしょうか。こうしてその国家の政治に口を出していくのです。
戦争で権力者が疲弊すると、その都市国家を捨てて別の国家へ移っていく身勝手な層が「市民」だと思います。口を出した政治的結果の責任は持ちません。
最近はソーシャル活動などでよく「市民」という言葉を使う人が居ます。外国人なども仲間に入れて「自分たちは市民だ。自由市民だ」などと叫ぶわけですが、彼らの言い方からサラリーマンのような奴隷ではないことを強調しているようにも見えますね。
無意識に「選ばれし者」と「奴隷」という構造を強調しているわけです。
しかし最近はグローバル経済の失敗でアメリカが疲弊して、国家意識が台頭してきました。世界的な不況の予感の中で、国家主権が見直され始めたからでしょう。
国家主権の中で重要なものの一つが「通貨発行権」です。しかし、時代がマネーの電子化を進める中で、この権利をどのように維持していくか、21世紀の課題ですね。
インドのモディ首相、ロシアのプーチン大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領など、そして日本の安倍首相も、このような国家主権を強く意識した指導者です。
さらにアメリカの大統領候補・ドナルドトランプ氏もアメリカ国家を取り戻そうという認識で共和党候補に上ってきた人です。
プーチン大統領などはマスコミからは叩かれますが、国際金融に背を向けて主権国家を維持管理しようとする姿勢は次第に受け入れられていくように思います。
ですからサヨク運動が終焉を迎えるだろうと思うわけです。
市民とか革命とか、20世紀の残照を感じさせる言葉はもう古臭く感じませんか。これから台頭する言葉は、国民という意識改革であって、国防とは何を守るのか、国家主権とは何か、などの議論が新たな話題となっていくような、そんな時代を感じるのですが・・・
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