2015年6月24日水曜日

「謝罪マニア」とは何か?

産経の阿比留瑠比氏のコラムに「謝罪マニアに告ぐ・『敗戦国』から脱却せよ」というコラムが掲載されておりました。
この「謝罪マニア」が、戦後レジームの既得権益保持者であることは明らかですが、現在もなお記者クラブなどでの村山元首相や河野元衆議院議長などの発言を揶揄したものでしょう。

6月9日の記者クラブで河野洋平氏は、事実関係を軽視し、旧日本軍や官憲がやってもいないことを、「とにかくまず最初は事実を認めることが大事。細かいことを持ってきて、だからなかったんじゃないかと言って否定する。こんなことが、どのくらい日本人の名誉を傷つけているか。私は非常に怒っている」などと語っています。
河野氏の方こそ日本国民の名誉を傷つけていることは間違いありませんけど・・・

同じ記者会見で、村山氏は「私の気持ちに邪なものはありません。まっすぐです」などと語っています。

北岡伸一国際大学長は、「二十一世紀構想懇談会」の座長として「安倍首相に『日本は侵略した』とぜひ言わせたい」などと語っておりますが、明らかにそこに続く言葉が「謝罪」であることは間違いありません。

つまり、「謝罪マニア」達の共通している点は、「日本はアジアを侵略した。だから『謝罪』するのは当然だ」ということに尽きるようです。
しかし「侵略」の定義については、平成7年10月の衆院予算委員会で村山富市元首相が、「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」と述べております。
また、平成21年4月の衆院決算行政監視委員会で外務省の小原雅博大臣官房参事官は、「さまざまな議論が行われていて、確立された法的概念としての侵略の定義はない」と述べ、そして今年4月1日の参院予算委員会で、岸田文雄外相は「植民地支配と侵略の定義についてはさまざまな議論があり、明確な答弁を行うことは困難だ」と述べています。

東大名誉教授の伊藤隆氏は、「歴史通」5月号の中で「侵略の定義というものはない。だから、唯一成り立ちうる定義があるとしたら、『侵略国家とは戦争に負けた国である』。それしかない。侵略国イコール敗戦国。また、『侵略』を定義するなら、『侵略とは敗戦国が行った武力行使である』。それ以外に言い様がない」と述べております。

早い話が、日本が侵略したのはアジアを侵略していた欧米列強に対してであって、アジアの諸国民に対してではないことが、この「謝罪マニア」の思考の中から抜け落ちていると言うわけです。
戦後、このアジア各国は、日本軍によって駆逐された欧州列強が、日本敗戦の後に戻ってきた時、立ち上がって彼らを追い帰しました。つまり独立のために戦い勝利したわけです。

この独立戦争には多数の日本軍人が背後で関与しております。これを大東亜の解放戦争とするならば、日本の戦争目的は達成されたのであり、ゆえに日本軍の勝利とも考えられます。
だからこそ今は、アジアを侵略していたのは欧米列強と言えるわけです。大日本帝国は太平洋戦争でアメリカに負け、大東亜の戦争では欧州列強に勝ったということになります。日本軍が侵攻してこなければアジア各国は立ち上がれなかったこと、彼ら自身が述べております。それが正しい歴史認識ではないでしょうか。

勝利したアメリカは、日本に対して2度とアメリカに歯向かわないような処置をします。「東京裁判」「日本国憲法」と、オレンジ計画から始まった総仕上げの「ウォー・ギルド・インフォメーションプログラム(WGIP)」の実践です。
こうして徹底して「日本軍が悪かった」ことを捏造し、植えつけていきます。その方法が、「協力者には既得権、反動者には公職追放」だったわけです。
そしてここから、悪い日本軍の行為に対する謝罪・・という「謝罪マニア」が生まれたのだと思います。注意すべき点は、この時アメリカはまだ社会主義を模索中だったと言うことです。

共産主義が朝鮮半島を侵攻してきた時、すくなくともマッカーサーは初めて共産主義の怖さを認識します。恐らくアメリカ政府も、やっとそれを知ったのでしょう。
日本を必要としたのはアメリカ軍でした。国務省も占領政策を変え、そして警察予備隊→自衛隊が創設されます。日本を自由資本主義陣営に何としても留めることが第一義となったわけです。しかし「WGIP」は続きます。

普及し始めたテレビから、アメリカの豊かな生活風景がドラマとして日本国民の前に展開され、そしてアメリカの歴史ドラマとしての西部劇が人気を得ていきます。「日本軍が悪かった」が影をひそめ、「正義のアメリカ」という位置づけの工作です。
本当は、アメリカの日本占領政策がうまく行ったのも、西部劇がブームになったのも、もともと日本はアメリカ(その建国の精神)が好きだったからかも知れません。どこかに「八紘一宇」に似た世界観がありますから。だからこそ二枚舌のアメリカに対し戦争も激しかったのではないかと・・・
だからその戦争の後の敗戦国日本の扱われ方で、この思考停止状態の「謝罪マニア」が生まれたように思います。

しかし、もはや時代は変わったのです。でも村山氏や河野氏のような「謝罪マニア」には、その現状が見えません。
西部劇のヒーローの腰にあった拳銃は、常に「コルト45口径リボルバー、俗称:ピースメーカー(平和を作るもの)」でした。
先日、そのコルト社が連邦破産法の適用になったこと(倒産です)を見ても、時代が変わったことを感じさせます。

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