自民党の菅原一秀財務金融部会長が、フジテレビの番組の中で「安倍晋三政権は基本的には(移民を)受け入れない」と語ったそうです。
しかし、東京五輪などで不足することが予想される土木関係、建築関係などは外国人労働者の雇用を希望しているかも知れません。
今回の移民問題は、労働者受け入れの問題で、年数を区切って「帰れ」と命令しても帰らない場合の問題なのです。
一番可能性の高い中共からの労働者は、5年働いたら「帰る国家がなくなっていた」などということも予測出来ますし、国家があってもさまざまな理由を付けて帰らないケースも出てくるのではないでしょうか。
その場合、無理やり帰国させると人権問題として世界中から非難されるかも知れませんし、日本国内に逃げ込めば、生きるために犯罪の温床となっていくかも知れません。
仕方なく移民として受け入れることになってしまえば、その後から家族・親戚などを呼び込み、子供を
作ったりして増え始め、やがて自分たちのコロニーを作って日本国民を排撃するパワーを付けていく・・などが考えられるわけです。
なぜこのような事態を考えるかと言えば、現在の欧州がそうなっているからです。
英国、オランダ、フランス、ドイツ、イタリア・・・ほとんど移民問題を抱えて国民が困っている現状を見るからです。大きなマンションに移民が入ってきて、その異なる文化で本国国民が出ていかざるを得なくなるような、そんな話をよく聞きます。
労働力不足を補うために若い移民を受け入れても、20年も経てば彼らも年を取ります。その家族も同じようになっていき、保障も要求してきます。
そして差別は出来ないのです。
我が国の国民は働き者です。移民で来る人達は生活のために働きますが、基本的に労働を忌避します。この文化の差は埋めることが出来ないでしょう。
多文化共生は無理なのです。文化の多様性は、生物学でいう「棲み分け」から派生しているはずです。「棲み分け」をはずして共生することは、対立と抗争を生むだけだと思います。綺麗ごとを言ったところでどうにもならないのではないでしょうか。
華人が中華街を作り、排他的コロニーを作ることを見て、異文化共生が無理なことは解るはずです。
我が国の国民が働き者なのは、おそらく農業の収穫向上のための共同作業の文化が、言語的にも組み込まれた結果だと思います。
人より多く働くことがプライドを形成する文化なのです。そしてその元には天皇陛下を核とする公務の意識があるようです。日本の祭日や陛下の行う儀式などの持つ意味に、その文化を見ることが出来ます。
中華思想にも、ヘブライの宗教思想にも、労働をプライドとする意識は無いようです。中華思想には労働を蔑視する傾向が見られ、ヘブライの思想には「神罰としての労働」という意識が強くあるようです。
キリスト教では、神から与えられた能力に応じて働くことが推奨されていますが、「経済的労働」という意味合いが強く、我が国の労働価値観とは少し異なります。(敗戦後の現在は、アメリカ式に感化されていますけどね)
江戸時代の職人は「宵越しの金は持たない」ことをプライドにしていたようですね。「江戸っ子の、生まれそこない、銭をため」などという川柳があります。
腕を磨いて仕事をすれば食っていけるから、銭を貯めるより腕を磨け・・という意味のようで、仕事は周囲にあって待っていてくれるわけです。
言い方を変えますと、彼らは仕事を貯金していたことになります。その貯金を下ろすには仕事をすれば良いだけです。もちろんいい腕を持っていないとやらせてもらえません。ですから「宵越しの金は持たない」でも食っていけるほど腕がいいんだ・・・というプライドとなっているわけです。
時代が変わり、産業化社会になり、仕事のやり方も大きく変わりましたが、日本国民はこのような心を今も持っているのでしょう。だからこそ他国に勝てるのです。
産業主義の末期の今、金融が幅を利かせています。世界中がお金の奴隷になってしまった昨今、このような江戸・職人の心意気を蘇らせば金に負けない社会を再構築できるような、そんな気がしています。
そういう時期に、外国人労働者を入れてまったく価値観の違う人たちに仕事をさせればどういうことになるか、中共の新幹線、韓国のセウォル号などを見れば判りそうなものですけどね。
我が国の官僚達は、それすらも判らなくなってしまったのかと疑いたくなります。
労働者が不足したら、仕事のほうを待たせておけばいい・・・そういう仕事の構成を考えれば良いと思うのですけどね。
仕事のほうを待たす・・つまり貯金するのと同じ意味で、このような仕事の割り振りをどうするか、それでウォール街に勝てるのではないでしょうか。
今回の移民問題は、労働者受け入れの問題で、年数を区切って「帰れ」と命令しても帰らない場合の問題なのです。
一番可能性の高い中共からの労働者は、5年働いたら「帰る国家がなくなっていた」などということも予測出来ますし、国家があってもさまざまな理由を付けて帰らないケースも出てくるのではないでしょうか。
その場合、無理やり帰国させると人権問題として世界中から非難されるかも知れませんし、日本国内に逃げ込めば、生きるために犯罪の温床となっていくかも知れません。
仕方なく移民として受け入れることになってしまえば、その後から家族・親戚などを呼び込み、子供を
作ったりして増え始め、やがて自分たちのコロニーを作って日本国民を排撃するパワーを付けていく・・などが考えられるわけです。
なぜこのような事態を考えるかと言えば、現在の欧州がそうなっているからです。
英国、オランダ、フランス、ドイツ、イタリア・・・ほとんど移民問題を抱えて国民が困っている現状を見るからです。大きなマンションに移民が入ってきて、その異なる文化で本国国民が出ていかざるを得なくなるような、そんな話をよく聞きます。
労働力不足を補うために若い移民を受け入れても、20年も経てば彼らも年を取ります。その家族も同じようになっていき、保障も要求してきます。
そして差別は出来ないのです。
我が国の国民は働き者です。移民で来る人達は生活のために働きますが、基本的に労働を忌避します。この文化の差は埋めることが出来ないでしょう。
多文化共生は無理なのです。文化の多様性は、生物学でいう「棲み分け」から派生しているはずです。「棲み分け」をはずして共生することは、対立と抗争を生むだけだと思います。綺麗ごとを言ったところでどうにもならないのではないでしょうか。
華人が中華街を作り、排他的コロニーを作ることを見て、異文化共生が無理なことは解るはずです。
我が国の国民が働き者なのは、おそらく農業の収穫向上のための共同作業の文化が、言語的にも組み込まれた結果だと思います。
人より多く働くことがプライドを形成する文化なのです。そしてその元には天皇陛下を核とする公務の意識があるようです。日本の祭日や陛下の行う儀式などの持つ意味に、その文化を見ることが出来ます。
中華思想にも、ヘブライの宗教思想にも、労働をプライドとする意識は無いようです。中華思想には労働を蔑視する傾向が見られ、ヘブライの思想には「神罰としての労働」という意識が強くあるようです。
キリスト教では、神から与えられた能力に応じて働くことが推奨されていますが、「経済的労働」という意味合いが強く、我が国の労働価値観とは少し異なります。(敗戦後の現在は、アメリカ式に感化されていますけどね)
江戸時代の職人は「宵越しの金は持たない」ことをプライドにしていたようですね。「江戸っ子の、生まれそこない、銭をため」などという川柳があります。
腕を磨いて仕事をすれば食っていけるから、銭を貯めるより腕を磨け・・という意味のようで、仕事は周囲にあって待っていてくれるわけです。
言い方を変えますと、彼らは仕事を貯金していたことになります。その貯金を下ろすには仕事をすれば良いだけです。もちろんいい腕を持っていないとやらせてもらえません。ですから「宵越しの金は持たない」でも食っていけるほど腕がいいんだ・・・というプライドとなっているわけです。
時代が変わり、産業化社会になり、仕事のやり方も大きく変わりましたが、日本国民はこのような心を今も持っているのでしょう。だからこそ他国に勝てるのです。
産業主義の末期の今、金融が幅を利かせています。世界中がお金の奴隷になってしまった昨今、このような江戸・職人の心意気を蘇らせば金に負けない社会を再構築できるような、そんな気がしています。
そういう時期に、外国人労働者を入れてまったく価値観の違う人たちに仕事をさせればどういうことになるか、中共の新幹線、韓国のセウォル号などを見れば判りそうなものですけどね。
我が国の官僚達は、それすらも判らなくなってしまったのかと疑いたくなります。
労働者が不足したら、仕事のほうを待たせておけばいい・・・そういう仕事の構成を考えれば良いと思うのですけどね。
仕事のほうを待たす・・つまり貯金するのと同じ意味で、このような仕事の割り振りをどうするか、それでウォール街に勝てるのではないでしょうか。
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