「日本に対しては、(嘘でも)台湾問題をとことん言い続けるとともに、(捏造した)歴史問題を終始強調し、しかも永遠に(賠償しろと)言い続けなくてはならない!」と、常に激をとばしていた反日の巨頭、中共の江沢民元主席が2011年7月7日に死去いたしました。
膀胱癌だそうですね。享年84歳。
天安門事件で世界中から経済制裁を受け、東欧革命やソ連崩壊の影響で共産主義政権が崩壊する恐れが出たとき、政治への不満から目を逸らせるために反日教育(愛国主義教育)を推進し、国際的孤立から脱却することを目的に、こともあろうに今上天皇・皇后を中共訪問に招待(平成4年10月)して、日本に対する中共の優越性と国際社会の信用回復を成し遂げたという、日本嫌いの豪腕政治家でした。
この江沢民氏の日本嫌いは、どうやらその生い立ちに根本原因がありそうです。
彼の実父・江世俊は、日本軍占領下の江蘇省で日本の特務機関に協力をしていましたが、叔父の江世侯(上青)は中国共産党の幹部でした。そしてこの叔父には男性の子供が居なかったため、この叔父・江世侯の養子となっていたということです。
しかし、この話は実父が日本の特務機関に協力していたことをを隠すための方便であろうと思われます。
日本が戦争に勝てば実父の「日本軍への協力」を前面に出したのでしょうが、日本が負けたために共産党側についた江沢民氏。
そこで出世するには実父とは離れて「叔父の養子」とした方が得策。このようなことは中国人なら当たり前のことだったのかも知れませんね。
機械技術者としてモスクワのスターリン自動車工場で研修を受けたのが1955年。その後技術畑を歩んでいたためか、1966年に発生した文化大革命には技術者ということでもあり、そしてこのとき「叔父の養子」であったことでむしろ「革命烈士の子弟」として批判はされなかったようです。
その後も技術畑を歩いてきたようですが、人望があったようで(狡猾だっただけ?)地方共産党の要職を務め、そして1982年、第12回党大会において中央委員に選出され、政界のトップ等とつながったようです。
それから上海で頭角を現し、上海市の実力者「汪道涵」の推挙にで上海市長となり上海閥を形成していったとか。
上海で発生した学生の民主化要求運動に対して、学生と直接対話し説得。民主化運動の胡耀邦と反対の立場を取って保守派長老の目に留まるようになり、その後も民主化運動を弾圧するなどの業績によってトウ小平氏に気に入られ、党総書記・中央政治局常務委員に抜擢されたのです。
強烈な反日は、アメリカとの友好の演出によって中和され、自由世界との交流を維持します。ビル・クリントン大統領から始まった江沢民氏の「アメリカ抱きこみ工作」が、日米離反を狙ったものであることは間違いないでしょう。
2001年の9・11テロで、すかさずアメリカ支持を表明した江沢民氏は、その後のブッシュ大統領の「テロとの戦い」を利用して、ウイグル、チベットなどの独立派弾圧を「テロ対策」として行ったことは有名です。さらに台湾独立派への弾圧にも利用して、それは現在に至っても続いているようですね。
この江沢民氏が強力に支持していたのが「習近平国家副主席」で、中共の次期最高指導者になる公算の大きい人物。すでに小沢一郎民主党元幹事長のルール無視の指示によって、天皇陛下との謁見がおこなわれてしまったことは記憶に新しいところです。
江沢民氏の死亡によって、これからの中共がどう変わるのか、あるいは変わらないのか、予断が出来ませんね。派閥争いも激化するでしょうし・・
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