2011年1月24日月曜日

うまくいくのか新聞救済、グーグルの取り組み

新聞社が世界的に軒並み不振です。ネットの影響でしょうが、どこも赤字続きで回復の見込みが立っていません。
テレビとは共存できた新聞ですが、ネットには太刀打ちが出来ないようです。

ところが、そのネットの検索最大手のグーグル社が新聞救済に動き出しました。正確に言うと「新聞再生プロジェクト」というものを立ち上げたということです。
グーグルの言い分は「我々の仕事はユーザーが必要な情報を発見することを助けることだ。提供する情報が不正確で、遅く、求めるものにマッチしていなかったらユーザは検索する気にもならないだろう。一方で我々はコンテンツそのものを生み出してはいない。だからニュースが存続できる方法を見出さなければならないのだ!」というもの。

日本の新聞が正確で早いのかどうか、また読者に真実を伝えているのか、または伝えるべきものを伝えているのか、など疑問も残りますが、他国の新聞の翻訳もネットで見られますから、大体の真相はわかるようになっています。
グーグルが言っているのは世界の新聞報道のことで、日本の新聞社も含まれてはいるのでしょうが、ともかく記事(ニュース)を生み出しているのは自分達ではないこと、その通りですね。

このようなグーグルの取組みに対して、アメリカなどでは「ニュースペーパーを救済するな、ニュースを救済しろ!」という声も出ているようです。
文字と写真と動画が同時に掲載出来て、しかも世界中から任意の時間に見ることが出来るネットの特性は、とても新聞ビジネスの太刀打ちできるものではありません。
しかし見ているニュースは新聞社が提供しているものであって、その批判などはネットで行えますが、ニュースそのものを作り出してはいないこと、十分に解っております。

新聞社のニュースはネットで無料で見ることが出来ます。これを有料化できないかという試みも行われているようですが、お金を払って見た人が、コピーサイトで公表すればお客様はいなくなるでしょう。ですからニュースを救うことは、そう簡単ではないようです。
著作権で訴えて・・・ということも、その量と時間の問題で不可能なのですね。
ニュースを書き、その対価を誰からどうやって受け取るか、これは情報事業の今後を考えることでもあります。
現在はとりあえず広告収入で成り立っているニュースですが、このビジネスモデルが今後も続けることが出来るのかどうか、そこにも不安があるわけです。

しかし、このような問題は経済社会全体が陥っている問題でもあるのではないでしょうか?
生産が主体だった20世紀のモデルは、先進国の今ではほとんど通用していません。若き経済学者の中野剛志氏によりますと、経済モデルとしては国民総生産(GDP)ではなく、国民福利という指標を作って、それでモデルを考えないと行き詰まりを打開できないだろう、と述べております。

ニュースを救うためには、ニュースビジネスというスタンスで考えていたのでは無理かもしれませんね。
ブロガーという肩書きを持つ古谷経衡(ふるやつねひら)氏は、「生まれた時から不況だった世代は、同時に生まれた時からインターネットが存在した世代でもある。学校とか会社という共同体に参加していても、ネットでつながる別の共同体にも同時に複数参加出来ている世代だ」ということを述べていました。

社会システムの変局点にある現在です。まだしばらくは古い産業主義的な社会システムに固執する人々が邪魔をするでしょうが、やがて新しい社会システムが、このような人々の間から派生してくるでしょう。
もしかしたら、ニュースを救おうとするグーグルのプロジェクトが、その原型を生み出すかも知れません。

ニュースが作れるのは、はたして新聞記者だけなのか、商社マンは、現場の技術者は、証券マンは・・・ニュースを書くことは出来ないのか。このような問い掛けから、次第にまとまっていくような気がするのですけど。

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